ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

読む速さはどれくらい

「くらやみの速さはどれくらい」を買ってしまった。どうせ読まないのに。アルジャーノンに花束をの再来と言われていた名作SFらしい。アルジャーノンが嫌いなのに100円だったから買ってしまった。アルジャーノンが障害者を利用、冒涜した出来損ないの気持ち悪いロマンスであることは言うまでもないので、くらやみ〜の方がまだ面白そうではある。しかし比較対象がどうしようもない小説なので、そんなものに勝っているからといって大したステータスにはならない。

それにしてもなんでSF作家は自閉症とかの人を作品に出そうとするのだろうか。自分が崇拝するグレッグイーガンも何度か出していたような気がする。自閉症の人はSF作家の気持ちになりきって小説を書こうとなんてしなさそうだから、正直SF作家の方が重篤な病を患っているような気がしないこともない。そう言う自分も読破する算段のつかない小説を買ってしまっているあたり、SF作家サイドの人間のような気がしないこともない。

会話の病気

さっき仕事中に自分が親に「◯◯ある?」と尋ねたら「え?なんに使うの?どこ持ってくんだ。あとでやってほしいことあるから、△△やっといて。◻︎◻︎はやんなくていいから。」と言われた。自分は例によってイラッときた。「◯◯ある?」と尋ねられたら、まずはあるかないか答えるのが会話なんじゃないかと、自分は思ってしまう。自分が投げたボールと違う球が返ってくるキャッチボールは、なんだかモヤモヤが残る。そしてそういう人間がなぜか自分の周りには多い。

思えば以前彼女がいたときに、その彼女がすごくそういうタイプだった気がする。そういう人は喧嘩するとき、さらにその性質が酷くなる。「はい」か「いいえ」を求める質問を投げかけたら、まずは「はい」なのか「いいえ」なのか言ってほしい。色々こっちの考えや想いを推し量ってくれるのも殊勝な心がけだとは思うが、会話におけるスッキリ感をまずはほしい。こっちが聞きたいことを聞けないと、モヤモヤはどうしても募ってしまうのだ。

とはいえ自分がそういうことでイライラしてしまうことを完全に正当化するつもりもあまりない。そういう部分に関しては自分は病的な部分があるとは自覚している。なので会話のルールが近い人間にこれからもし出会えたのなら、なんとも言えない感動を味わえそうな気がしないでもない。

今日祖母に「藁を運んでくれ」と頼まれたけど、その時の頼み方にカチンときた。「軽トラ使えないけど、別の車だと汚れちゃうから軽トラ使えるまで待ってやってくれ。」と言ってきたのだ。たとえば自分が「ちょっと車汚れちゃうから軽トラ空くまで待とう」と言うならまだ分かるが、さもこっちの気持ちが分かるかのように気持ちを回り込んで変な気を利かせてくる小賢しさに腹が立つ。

イラッと来たがニコニコしながら「ばあちゃんは余計な気を使わなくていいよ」とだけ言った。午後もし軽トラが空いていても別の車で運ぼうと思う。

因果

以前「酒を飲んでるやつが馬鹿に見える」みたいな日記を書いた気がする。今日、その原因が父親に対する反抗のような気がしたのだが、その時の日記もそういう内容だっただろうか。一切思い出せないし、確認するのも面倒くさい。したがって同じ内容になるかもしれないけど、もう一度書こうと思う。眠いし、たまにはそういうのもありだと思うので書いていく。

自分が多感な時期に父親に言われたことで印象に残っているのが、「そんなもの(プリン)わざわざ買って食ってんのか」である。それも多分昔の日記で書いた気がする。自分はプリンが好きなので、自分の好きなプリンを馬鹿にしてくる父親の好きなものを馬鹿にしたくなり、父親の好きな酒を馬鹿にするようになったのではないか。これが今日思いついた説である。そして多分そういう論理展開は昔の日記ではしてないんじゃないかと思う。もししてたら自分は大したもんだし、してなかったとしたら自分は大したもんだと思う。

血の力

祖母を見ていると自分と血が繋がっているのを実感する瞬間がときどきある。最近祖母は風邪をひいているらしく、病人アピールがすごい。しかし「風邪ひいた」と言いながら畑仕事をし続ける。たとえばそれをしなければ野菜の命が終わるような仕事なら百歩譲ってまだわかるが、別にやらなくてもいい仕事だし、経験が必要なわけでもないので頼まれたら自分が代わりにやることだってできる。しかしそんな仕事をわざわざマスクをしながらやり、基本的に外にいる。そのくせして「歳をすると風邪が治りにくくなる。」とのたまっている。自分はどう考えてもちゃんとゆっくり寝ていないから治りが遅くなっているんじゃないかと思うが、本人は養生している気は一切ないらしい。

そんな姿を見ていてどこにシンパシーを感じるのかといえば、自分の体調が分からないところである。どこが異常で、なんで異常なのかが分からない。言い換えれば自分の体が何を求めているのかがよく分からないということでもあると思う。自分にもそういう兆候があることは十分に理解している。たとえば寒いとき、自分の体が寒がっていることがいまいち分かっていないときなどがあるが、そういうことなんじゃないかと思っている。

そういう人は他人に言われないとなかなか行動を改めることができない。そこまで自分は自覚しているので、祖母にも「寝たれば治るよ。家で寝てなよ。」と言う。しかし優しくそう言っても、祖母の口から返ってくるのは毎回謎の憎まれ口だ。血が繋がっているはずなのだが、なぜそういうタイミングで憎まれ口を叩くのか自分には一切理解ができない。

劇場版sktngy

「はい、次の方どうぞ」

「はい。よろしくお願いします」

「え〜。熊田さんね。享年は22歳で、死因は他殺、と。ほほうそれで怨霊になったわけですな。それはそれは、よくぞ成仏してくれましたな。」

「えっ、いや、え?」

「まあまあ。60年近くも怨霊やってるともう来るに来れなくなったりするもんなんですがね。まあ立場上軽々しいことも言えませんが、私個人としてはあっぱれと言いたいですな。」

「いや、あの他殺ってなんのことでしょう?私は老衰のはずなんですが。」

「そんなはずはないですよ。だって私どもが間違えるなんて、そんなことありえます?」

「そりゃごもっともなんですけど、私も身に覚えがないのでね。今朝起きたらなんだか妙に体が軽くてね。どうしたもんかと思って足元を見たら足が無くなってたんです。ああこれはいよいよ私にもお迎えが来たかと気がつきましてね。独り身ではあったけども、それなりに、私なりにね、充実した人生だったなあとそこで…。」

「はい、はい。それはいいんですけど、あなたが死んだのは22歳の時の話なのでね。とするとさしづめ、あなたは自分が死んだことに気付いてなかったってことでしょうね。」

「ええっ。いや。そんなことって。そんな馬鹿な話ありえるんですか?」

「私も聞いたことないですけどね。状況から考えるとそれしかないかと。」

「だって私は何十年も警備員として立派に働きあげたんですよ。ああそうだ!10数年前の話ですが、不審者を私おっぱらいましたよ!」

「怨霊を見て驚いただけじゃないですか」

「じゃあえっと、私テレビを見るのが趣味だったんですが、ちゃんと鑑賞したり電源切ったりできていましたよ。」

「それくらいなら怨霊のできることの範疇なんじゃないですかね。」

「そもそも!第一足がないことに何十年も気付かないなんて、そんなこと…。」

「現にこうしてありましたからね。これ以上無駄話してる時間もないんで。まあ心中はお察ししますが、ちょっと手続きに進みましょうか。」

「ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ死んでても生きてても私の人生なんて大差なかったってことになりませんか?それじゃあ私の人生って一体、なんだったって言うんです?」

日々の掌編

今年は集中的な大雨で川が増水して農作物にも小さくない被害が及んだらしい。自分も現に、河原に沿って整然と並ぶ長芋の畑が水中にその姿を消した様を目にしている。その被害に関係しているのかどうか分からないが、毎年恒例の野焼きの煙が例年よりも多いように感じる。実際のことはなにも知らないが、自棄のように立ち上る煙を見るといつもとはまたちがう物悲しさが勝手に胸に湧いてくる。

 

職場になにかにつけて「これってこれでいいんだっけ?」と聞いてくるおばさんがいる。自分より長くその仕事をしているはずなのに自分にも聞いてくるし、ほかの人にも聞いて回る。おそらくミスをした際のリスクを分散したいんじゃないかと思う。リスクを最低限にしたいので、不安なものはとっておいて後で責任者に尋ねるという徹底ぶりである。自分が「こういう処理で合ってます」と言っても「とりあえず聞いてみてからやろう」と言って聞かない。

 

職場に花の種類を細かく分けたがるおばさんがいる。同じ品種なのに特徴ごとに分類して別々にしたがるのだ。自分が「一緒です。個性です。」と言っても信じない。しかも2種類に分類されているその束を見比べてみると確かに分けられているから侮れない。しかし自分の言うことも少しは信用してもらいたい。