ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

新人類

自分が病院にいけば絶対になにかしらの病名をもらえると思う。要因が先天的なものか後天的なものかは分からないが、昨今よく聞くなんちゃら障害みたいなやつは一個くらいは賜られられるのではないかと思う。学校で馴染めた試しはないし、集中力もないし、対人関係も得意じゃないし、どういう診察をするのかは知らないけど早めの段階で医者もなにか察するのではないだろうかと思う。しかしまあ自分でそれっぽい要素を列挙していくと、どれも甘えのような感じもする。本気で時間をかけて鍛えれば矯正も難しくはなさそうにも思える。しかし実際そんなことをするのは面倒くさい。この面倒くさいというやつも自分が抱える障害によるものに違いない。なぜかというとおそらく自分のように矯正の努力をしないことは常人には耐え難いことのように思えるからである。「しなくてもいいことをするには、莫大な量の理由が必要である」という自分の行動原理は一般人には嘘のようなものなのではないだろうか。しかし耐えられないという点を抜き出すと、常人の方が脆いということにならないだろうか。とすると自分は単純に人類として次のステップに進んだ「次の常人」のような気も、まあほんのちょっとだけしないこともない。ということはまあ結局常人の医者から見たら異常者であるから、冒頭の予想は覆らないことになる。

世界がもうちょっと完璧ならね

前も書いた気がするけどやはり「自分の人生が順風満帆だった」というコンプレックスも存在すると思う。自分の中で、そういう人は順風満帆じゃない人に対するアドバイスや持論を説きたがるイメージが強い。その心理を推察するに、他人の厄介ごとを分けてもらいたい心理が働いているのではないだろうかと思う。この時点でも少しいけ好かないが、まだ聖人とも言えるだろう。しかしそういう人はその人生。順風満帆たらしめた適切な警戒心を持ち合わせている為、厄介ごとに本格的に首を突っ込む前に適切な壁を設けてしまい、結局二次災害に巻き込まれずに済んでしまっているような印象もある。それゆえその性分によって、結局そういう地位を順風満帆に確立してしまい、意識してるのかしてないのかは知らないがその根深いコンプレックスをより強固なものにしてしまうのである。

癌痛

今日末期ガンの祖父に会った。全身に転移しているらしく、とても辛そうだった。ギリギリ話せるようだったがとにかく辛そうだった。母親の父だけに、珍しく母も感情を抑え込んでる様子だった。自分はどんな顔をしたらいいのかも何を話しかけたらいいのかも分からなかった。母が自分に何か声をかけるように促している感じがしたので必死に考えた結果自分の頭の中は「どこが痛いの?」という質問で埋め尽くされてしまった。なんとなく空気が読めてない感じがしたので当たり障りのない言葉を選んで声をかけたが、祖父は「ありがとう」と言ってくれた。

でも実際ガンになるとどこが痛くなるのだろうか。「ガン=死ぬ」というイメージだし、「ちょっとガンが痛い」というセリフも聞いたことがないので考えたこともなかったが、現実の祖父は辛そうだったし、どう見てもどこかが痛そうな様子だった。残された時間は少ないが、もし万が一2人っきりになる機会があったら聞いて見たいと思う。

QOL

自分にはどうやら病院を嫌がる血が通っているらしい。父方の祖父は命に関わる入院中に看護師に噛み付いて脱走を試みたし、母方の祖父は末期ガンなのに現在進行形で抵抗を続けている。そんな姿に母親は現在進行形で呆れているし、父方の祖母も苦労していたことが窺い知れる。

母方の祖父は半世紀以上ヘビースモーカーを貫いた人で、母親は会う度に「タバコ辞めろ」と詰め寄り、毎回言い合いになっていたらしい。そんなことから察するにとっくに覚悟はできていたのだろうか、末期ガンになった今も飄々としていて、会うと冗談を飛ばして周りを笑わせてくれる。

ただそんなときでも自分の母親は笑わずに呆れ顔を保っている。そんな様子を見ていると、どれだけ頑固なのだろうかとこっちが呆れてくる。そもそも、自分は吸わないけど健康なんて気にしてタバコを吸う人間はいないと思う。同居しているならまだしも、もう棲む家も違う人間にタバコをやめろなんて言う権利はあるのだろうか。ろくに娯楽もない山奥で「これで頑張って生きてやるよ」とタバコで妥協してあげて頑張つまてきた祖父の矜持みたいなのを汲み取る気概はないのだろうか。

さきほど父方の祖母にガンの方の祖父の話をしたときの反応も、呆れに近いものだった。我が家にいる女どもの共感能力というか、察する力というか、汲み取る力というか、寄り添う能力はどこに行ってしまったのかと自分は今憤慨している。母親と父方の祖母は仕事大好き人間というお気楽な人種なので、細やかな人間の情緒みたいなものを理解できないのではないかと思う。

音楽王国

音楽が好きで、気に入った曲はしつこく何度も聞く。それは研究ごっこであり、男性的な接し方だと自分で思う。好きな曲を集めて共通する特徴を探ったり、物足りない曲はなにが自分にとって物足りないのかを探ったりしてみる。そうやって勝手に自分の定義で体系化し、自分がルールの王国を作り上げる。そうしえ出来上がった王国の中で流れる曲たちは、あたかも自分に従って自分の為に音を奏でているかのようでもあり、えも言われぬ陶酔感を与えてくれる。

それをなぜ男性的だと思うかといえば、自分が男だからだ。それと女の趣味に対する入れ込み方を見てると「なんか違うな」と思うからだ。

女も音楽好きだし、色々鑑賞する。あと演劇が大好きだ。男も演劇好きはいるけど結局比較分析したがってると思う。それを思うと女は演劇に対して真摯で敬虔に見える。比較分析なんてしたがる男を軽蔑してるんじゃないかとさえ思う。女の気分を害したくはないので、今日も自分は我が王国に引きこもり圧政を続けている。

夢。

ここら辺に美味しい店あるって聞いたのに、なんだよそもそも店自体がないじゃないか。「通りしなに見つけて雰囲気がちょうどよさそうだったら入ろうかな〜。じゃなきゃ近場のテキトーな店で食べよう。」なんて認識でくるべき地域じゃないよこんなとこ。思ってたのと違って山奥じゃん。というかそのお店もたしかパスタ屋さんだっけ?まず間違いなく俺なんかが入ったら場違いなパターンじゃん。だったらはなから他の店探すか。でも万が一ってこともあるしな〜。普段パスタなんて食べないからちょうどいい雰囲気のちょうどいいパスタがもしあるならば食べていきたいけど……。

というか、ここが話に聞いた地名だよな。いやいや、お店なんてないんだけど?なんか田舎のテーマパーク的なやつが見えてきたんだけど?まさかあれの中っていうことはないよね。もしそうならちょうどいいとかそういう以前の問題になっちゃうんだけど。あんなとこ1人で入る勇気はさすがにないよ?この信号は左折しよう。じゃないとテーマパーク的なとこに自動的に入って行っちゃう。

よし。左折してテーマパーク回避できた。できたのはいいけど、同時に聞いてた地名じゃなくなったね。どこここ?お腹ぺこぺこなんだけど。コンビニでいいからないかな。ほか弁でいいからあってくれないかな。

今朝見た夢

これはなかなかないくらいの糞ゲーだと思う。一体どこの会社が作ったんだろうか。切実に早く終わってほしい。こういうジャンルのゲームをなんていうのか僕はよく知らないが、自由度が高くてリアルな、いまどきのよくある感じのやつだ。

僕がつぎやるべきなのは確か、特別なキノコを探すとかそんなような感じだった気がする。しかし正直、そんなことをしている場合だとは到底思えない。なぜかと言うともたもたしていると、酸の雨が降ってきてここら辺の全てが滅びるのだ。僕は何度も今いるセーブ地点からやり直しているが、死因は毎回一緒である。無論、溶け死んでいる。

溶け死ぬとわかったらもうキノコなんて探している場合ではない。どこかに逃げるか、隠れるか、ゲームだから酸の雨を止める方法がある可能性だってあるんじゃないだろうか。とにかくキノコを探すという選択肢は僕の中にはない。

引き連れている旅の仲間2人のためにも、酸の雨をやり過ごして生き延びることが最重要なのだ。この2人は僕に付き合って、もう20回近く溶け死んでくれている。ゲームの中の存在とはいえさすがに僕も申し訳なくなってきた。それになにより、僕自身がすっかりうんざりしている。酸の雨ってなんなんだ。理不尽すぎるし、どんな世界観なんだここは。

そんなこんなで僕は見たことのない岩だらけの地形に迷い込んだのだが、不用意に地上に降りたせいで天然の岩の檻の中に閉じ込められてしまった。したがって今の僕は酸の雨待ちと言っても過言ではない。こういう詰み方もあることに関しては今回初めて知った。次は地上に降りず、岩の上を綱渡りしていこうと僕は心に誓った。