ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

夢日記

この水中生活が始まってどれくらい経つのだろう。海の上に立つ大きな施設(ガレージ?駐車場?物置?港?)の下で俺は身を潜めている。この大きな施設は5×5本の柱で支えられていて、それぞれの間隔はおよそ10m強あるのだろうかという感じだ。水上に建っているといっても、離れ小島になっているわけではなく、ほとんど陸に接している。その接している陸地も陸繋島なので、大陸からはみ出た部分の、さらにはみ出た部分の下に自分は隠れているような形になっている。

俺はもっぱらそれぞれの柱同士をつないでいる梁のような部分にしがみついて過ごしている。たまに陸の方へ行ってチラッと様子を窺っては、柱の真ん中に戻ってユラユラとたゆたっている。

振動や音から察するに、陸の方はなにやら騒がしいようだ。きっと俺を探しているんじゃないだろうかとも思うが、まったく別のことで騒がしくなっているようにも感じる。どっちにしろ、陸に上がるのはまだ早く感じる。それに水中生活というのも案外気持ちのいいものなのだ。水温は適温だし、魚なんかも可愛いやつが疎らにいるくらいだ。止まることのない波に身を任せながら地上の喧騒をのんびり窃視しているのは、ひょっとしたら俺の性に合っているのかもしれない。

あと贅沢を言うとしたら何がいいだろうか。ここに一緒に暮らしてくれる可愛い女の子がいたら完璧なんじゃないだろうか。ここの生活が退屈というわけではないんだけれど、そんな女の子がいたら尚更パーフェクトな気がする。何をするでもなく、女の子はただいてくれるだけでいいのだ。可愛い女の子が水面で遊んでいるのを見たらきっと、人魚にしか見えない気がする。人が虜になってきた人魚の優雅さみたいなものに、まさかこんな場所で気付けるとは思わなかった。相変わらず地上は騒々しいが、俺はやっぱりまだしばらくここに居れそうだと、そんな気がしてきた。

トゥデイのドリーム

僕は町の小さなパン屋で働いている。パン工房が店内からよく見えるパン屋だ。二階建ての小さなコテージという感じの趣なのだが、お客さんはいつもたくさん来ていて店内はいつも大賑わいだ。二階は屋上になっていて、カフェコーナーになっている。もちろんそこもいつもたくさんの人がいるのである。

しかし今日の賑わい方はいつもよりもさらにすごい感じがする。近くでなにかイベントでもやっているんだろうか。このパン屋はいつも人でいっぱいだから、僕は人混みには慣れているつもりだった。そんな僕ですら今日は窮屈に感じるのである。ある一箇所に留まろうとしても、人の圧で押し出されて、留まれないような感じだ。非常に居心地が悪く感じるのは僕だけなのだろうか。

しかし考えてみると、普段もそれほど居心地はよかったのだろうか。程度の差こそあるとはいえ、いつもだってその辺のお店に比べたら人口密度は高いのがこのパン屋だ。普段から我慢していたのが、僕のなかで限界に達しただけなんではなかろうか。

そんなことを考えながら、僕は人を押し分けて二階のカフェコーナーに行き、注文のあった飲み物を届けてきた。ここからまた僕は人を押し分けて工房へ帰らなければならない。

北西にある階段へ向かいたいのに、人の圧に押されて僕はどんどん真逆の柵へ追いやられてしまった。今日の混み方はやっぱり異常だ。僕は柵をまたがり、建物の脇の塀を伝って外に降り、トレーを塀に立てかけて、今日は先に帰ることにした。

外反母趾

最近左足の人差し指の親指側に違和感を感じる。原因を調べようかと思ったけど、それよりも足の指なのに人差し指でいいのか気になったのでそっちを調べたら、正式には足の指は趾と書くらしい。手でいうところの人差し指は第二趾というのが正確らしい。ついでに親指は母趾というらしい。趾の太いやつが母なら、手の指の方は父にしてくれればいいのにと思った。

自動手動

我が家の車は運転席からドア開け閉めできるのだけど、我が家のばあちゃんはどうしても自分で開け閉めしようとするため、たまに開け閉めのタイミングが手動と電動で同時になってしまい、ドアがバグる。
自分のドアくらい自力で開け閉めしたいというプライドがあるんだろうか。それとも自分のリズムで乗り降りしたいのだろうか。

自分はリズムの方だと思う。自分の3倍以上生きているばあちゃんに刻み込まれた乗り降り時のテンポは単純計算で3倍刻み込まれているだろうから、抗うとか委ねるとかの問題以前に体が動いてしまうんではないだろうか。

ゆめ

今日は10年ぶりくらいの家族旅行。目的地は広島だったと思う。うちで朝ごはんを食べて出発したが、いま夕方になって向かっているのは我が家である。誰かが忘れ物をしたらしい。

見知らぬ道だが普通に俺は運転している。自分以外に6人乗っているだけあっていつもより車の足取りも重いので、気をつけなければならない。

夜8時、もう完全に知っている道に出たようだ。この分だと家に辿り着くのは10時前後になるだろうか。俺たちは父親の提案でスーパーに寄り、晩御飯を買って帰ることにした。スーパーの立体駐車場に車を停め、みんなで食料を買いに行った。

時間的にお惣菜なんかも値下げされはじめていた。誰が食べるのかも分からないけど、俺はチキンカツオムライスと、焼きそばの半額のやつを見つけたので、カゴに入れた。見回してももうあまりなさそうなので、親に断って俺は先に車に帰ることにした。

車に帰る途中、俺はトイレに行っておこうと思いトイレで用を済ましたのだが、考えてみれば帰ってからでもよかったなと思った。トイレから出るとき、ちょうど父親がトイレに入ろうとしていた。俺は食料を受け取り、車に持って帰って、父親を待とうと思った。

俺は死体を背負って歩き回っている。この辺りはすっかり開発が進んでいて、地面が露出しているところがほとんどなく、墓を作ってやれないのだ。

一度歩道と車道の間の植え込みに埋めようとしたら、婦警に取り囲まれたことがある。「公共の場所に死体を埋めてはいけない」というだけなら分かるが、あいつら「その死体は警察で引き取って丁重に弔ってやる」とまで言ってくるもんだから、俺も頭にくるってもんだ。まあ埋めちゃいけないっていうわがままは聞いてやる。女がそういう生き物だってことは、こっちも多少は理解しているつもりだ。

しかし俺は今途方に暮れている。今では川底までコンクリートで固められているのか。この川は海まで行っているから、ここに死体を放って念仏を唱えてもいいのだが、まさか海の底までコンクリートで固められていないだろうな。

怒り

自分で思う、自分の直したほうがいい特徴の1つに怒りの持続力がある。自分は普段はそこまで怒ることもないが、一度怒るとずっとイライラしてなかなか収まらない。イライラしている時はまず何を食べても美味しくないし、音楽を聴いても楽しくないし、いやらしいサイトとかを見てもなんにも感じなくなる。

何をしたら直るのかもいまだにあまりわからない。怒っている相手が完全に俺に屈服したとしても、多分収まらないと思う。暴れ回って疲れ果てたら収まりそうな気はするが、ちょっと試す気にはなれない。

しかもたちが悪いのが、一度収まってしまえば、怒ってしまったことを反省したりするのでもなく、ケロッとしていることだ。そこの部分でケアしていくことも必要だとも思うけど。自分では怒り方自体をどうにかしたい。

今現在進行形でイライラしているのだけど、文章にしてぶつけていたらイライラが収まってきたような気もする。これからも気持ちの整理をしっかりできるようになっていきたいと思う。イライラが完全に収まってまた、ケロッとこの実感を忘れてしまわない意味でも、しっかり書き留めておこうと思う。