ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

ふげ

僕は時折幻聴を聴く。悩まされているというほどではないが、大袈裟に言えば歯に何か挟まっているようなスッキリしなさを常に抱えて過ごしている。とはいえ生活に支障をきたすようなレベルの騒音では当然なくて、簡潔に言ってしまえばたまにカウベルの音が聴こえるのだ。

この症状は就職してから、しかも仕事中に限るものなのでストレスによるものだということは自分の中で解明済みである。そんなに辛い仕事でも、辛い職場環境でもないのだが、それでも働くということ自体に僕はストレスを感じてしまっているのだろう。カウベルの音色はそんな風に僕の甘さを指摘してきているように感じる時もある。

しかし3年以上続いていたこの問題が、ある日突然急展開を迎えることになった。それは突発の飲み会の席で発覚した。なんと、先輩の中にカウベルの音を口から鳴らしてしまう癖のある人がいたのだ。

その事を知った時の僕の喪失感といったら、おそらく誰にも分かってもらえないのではないだろうか。なんだその真相。僕とカウベルは、僕の中でもう共存関係を構築しつつあったというのに。これからその音色を聴いたところで「ああ、あの先輩が近くにいるのか」くらいのことしか思わなくなってしまうではないか。

それからしばらく僕は、カウベルの音を聞くたびになんだか興を削がれるような感覚に陥るのであった。

ゆーめ

有名な、滝が見える露天風呂がある。

その滝は岩場の亀裂から落ちている。その亀裂の中は聖地とされ、選ばれた者だけがそこで祈ることを許されている。

修学旅行で来た僕たちはその荘厳な滝を見ながら露天風呂でプカプカしている。露天風呂の方はほぼ温水プールのような感じで、重苦しい雰囲気はない。

僕が端の方で漂流していると、滝がよく見える辺りに人がどんどん集まっていることに気付いたので、僕も行ってみることにした。

近付いていくとすぐに人だかりの理由がわかった。亀裂の中に同級生が入って祈っているのだ。彼は変わり者で知られている。

聴衆は面白がっていたが、その歓声は次第に不穏な雰囲気に変わる。なんと祈っている彼の後ろから、大人が近づいてきているのだ。

大人がある程度の距離まで近付くと亀裂の彼も気付いて逃げ始めた。彼が逃げ始めたことによって僕らも気付いた。彼を追う大人の雰囲気は明らかにおかしい。彼を注意しにきた感じではない。彼を襲おうとしているようにしか見えない。

2人が亀裂の滝の出口に近付くにつれ、その鬼気迫る表情が僕らにもよく見えるようになってきた。

正義

自分の人生には瑣末なトラウマが沢山あるのだが、中学時代にもちょっとしたトラウマが複数ある。そのうちの1つに掃除の時間の出来事がある。

率直に言ってエピソードというほどのものでもないのだが、自分はふつうにまじめに掃除しているのにサボっている女子がいて、看過できずに注意したという話だ。

当時の自分は今以上に引っ込み思案で、コミュニケーションが苦手だった。しかし女子への怒りが勝り、注意するに至ったのだが当たり前のように声がちゃんと出なかった。あと口調もぎこちなく、注意された側も困惑していた。

その後その女子はちゃんと掃除をしてくれていたが、この出来事は自分の中で明確にトラウマとして記録された。その日のうちにすでに「なんであんな事言ったんだろう」という逡巡が止まらなかった。注意する前の時点でも、注意している最中も、「自分がそんなキャラじゃない」という思いは脳内をめぐり続けていたのだ。

おそらくだが、「サボっている人間を注意する」という行為は間違った行為では無いと思う。当時の自分もきっとその正しさを信用してそういう行動に出たんじゃ無いかと思うが、しかし結果は残念なものだ。学校の掃除なんて自分には関係ないことなのに、そのために自分は恥をかいた、と当時は感じただけだった。

差別

差別意識の正体はなんなんだろうか。差別に反対する人は「確かに存在する」「絶対的な悪」と思って喧伝しているが、差別の正体を考察している人は見たことがない。

他人の発言に差別意識を感じる瞬間はたしかに存在するが、それがみんなが取り除こうとしている差別と同じ物なのかは自信を持てない。

差別はふんわりしていると思う。差別されたと思う瞬間も存在するけど、そう思う瞬間たいてい同時に「この人に悪気はないんだろうな」とも感じている気がする。

先入観は関連するワードに挙げられると思う。あと排斥する気持ちもたしかに内在すると思う。しかし日常に垣間見れる差別には、そういう側面よりも「自分が思われたくない自分」が強いというように自分は思う。

殊更非難することにより「自分はこれではない」と強調したい気持ちが差別として発露している場合が多いように思う。それはつまり「下手したら自分もそうなる」「下手したら自分もそこにカテゴライズされる」いう恐怖心が内在しているイメージがある。

キャサリン

近所の団地の中で昔友達とよく遊んでいた。そこにはたまにキャサリン?アリス?ジェニー?みたいな感じのあだ名で呼ばれている女性が出没していた。

彼女はゴスロリ服に身を包んだ100キロは超えてそうな160cmないくらいの20代前半くらいの女性で、いつも日傘を差していた。

彼女がだれか他の人と一緒にいるところを見たことはない。ムスッとした顔をいつもしていてそれ以外の表情も見たことない。

秋に友達とその公園でいいドングリを探しているとキャサリンがおもむろに近寄ってきて、ドングリを落とす木に日傘を突っ込んでかき回し始めた。

ドングリがたくさん落ちてきた。自分と友達は最初怖かったけど、大柄の女性の意外な優しさに驚き、一応お礼を言った。

その方は今も団地に暮らしているんだろうか。生きてたら30代後半になるんだろうか。

土手猫

道を渡って土手の方に行こうとしている猫がいた。渡りはじめていたのだが、自分の運転する車が通ったせいで元の茂みに引っ込んでしまった。自分はそのまま少し走ったところに車を停めたので、猫が土手に行くのを期待してずっと後ろを見つめていたがいよいよ猫が道を横断して土手へ行くことはなかった。きっと自分に邪魔をされたことによって目的地自体が変わってしまったんだと思う。自分がその道を通らなければ、猫は誰にも邪魔をされず当然のように土手へ行ったのだろう。だが邪魔をされてまで行きたい用事というのはなかったようだ。

あ、あー。ここはもうそういう場所で確定完了なんですね?

私は生まれた頃からおばあちゃんから、ここは「◯△◻︎」という地名だよって聞いてて、キレイで可愛いなぁって、ステキだなって思ってたんだけど、結局いじめっ子達の言う通りだったんですねえ。

しかもここはもう大きい道路通るから住めないと、そりゃそうですよねえ、意地で無理やり住んでもいいけど騒音どころじゃありませんもんね!だってここが道になるんですもん。

今ののどかな風景から見たら想像もつきませんが、そんな冗談つく人たちには見えませんし、そうなるんでしょうね。

いえいえいえいえそんなそんな、私は反対じゃありませんし、悲しんでもいませんよ。感情でいうなら、なんだろ、強いて言えばまあ怒りですかね!おばあちゃんに対しても、自分に対しても!

ここから、ここが道になるんでしたっけ?じゃあここのスペースならまだ寝れたり〜、、、なんて!あはは、え?冗談に決まってるじゃないですか!ちょっとくらい笑ってくれても良くないですか?