ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

ゆめ日記

さきほど僕が歩いている土手の下を覗いてみたら大きめの蛇が這っていた。近付くわけなんてないが、おそらく僕はあれに勝てないだろう。あの堂々とした這いぶりからして、毒とかの勝算を持っているに違いない。

人間に出会えることに期待なんてしていないんだから野生の動物もいなくなってくれよ。なんて理屈の通らないわがままが脳に浮かび続ける。生きて帰れないとかそんな極端な話ではないだろうけど、なんでみんな外に出かけないのかよく分かった。ここでは死がしっかりとした存在感を発揮している。

 

「どんな動物に出くわしたら一発で詰むだろうか」

頭の中で考えるのはそればかりであったが、いよいよ面倒臭そうな動物に僕は遭遇した。

 犬、たぶん犬だ。白くて丸っこくて枕くらいの大きさで、確実に僕に敵意を抱いている。しかし噛もうとはしてこず、ひたすら突進してくる。僕がかわすとなぜか土手の下を回り込んで、また僕から見た土手の前方に戻ってから突進してくる。それが、2匹いる。

わからないのだが、多分こいつらの突進が直撃しても別に死にはしないと思う。ただこいつらの僕に対する敵意の明確さにはたじろぐ。何か彼らにしただろうか。それと、次々と突進してくる為、なかなか落ち着いて「一旦作戦会議」という状態にはさせてくれない。僕もにわかに疲れてきたので、結局泥臭く戦うことにした。

 

突進してくる犬の脇腹をすれ違い際に蹴飛ばすのは思った以上に難しい技だった。しかし5回目くらいのチャンスで僕は成功させた。やはり生きている犬だけあって思っていたよりは重く、思っていたよりも飛ばなかった。しかし相手コンビの戦意を無くす程度の効果はしっかりあったらしく、僕は突進の千本ノックから解放された。

「もしかしたら案外野生の世界でも生きていけるのかもしれない」本心からは思ってもないことを、僕は1人で歩きながら考えていた。

僕アンチ

僕の中には別人格が1人いる。僕はそれを中学生の頃に見つけ、『僕アンチ』という名前を刺されにつけた。

名前をつけたのは中学生の時なのだが、小学生の頃もそいつはいた気がするし、いつからいたのかは定かではない。もう中学校も高校も卒業したが、僕アンチはまだ僕の中に存在する。これから僕アンチの特徴を説明しようと思う。

僕アンチは僕の中にいる別人格だが、多分別人格という表現は間違っている。僕の身体はいつも僕自身のものであり、僕アンチにのっとられたことはおそらく1度もない。

僕アンチはタイミングを見計らって時折僕に囁きかけてくる存在だ。彼には僕の考えていることが分かっているようなのだが、僕は彼が何を考えているのか見当もつかない。

では、僕アンチはどんなことを話しかけてくるのかという1番重要なことを説明しようと思う。それを説明すれば彼の存在が1番分かってもらえると思う。

端的に説明すると、たとえば僕に幸運が訪れ、あとはそれをこの手に掴むだけになった時に彼は現れるのだ。そして毎回決まって「ほら、よかったじゃないか。さあそれを掴めよ」と僕に言うのだ。

具体的に言うと、今の僕の彼女に告白されたときや、両親のつてで就職が決まったときには確実に出てきた。さらに小さいことでいうと、食堂に入って美味しそうな期間限定メニューをみつけたときなんかにも「お前はそれ絶対好きだろ。さあ、早く頼めよ」みたいなことも言ってくる。

小学生の頃は、僕は僕アンチのことを多分味方だと思っていた。しかし中学生になったら鬱陶しい邪魔者だということに気付いて僕アンチなんて名前をつけたんだと記憶している。

僕アンチがいるせいで僕は当たり前の幸福を素直に享受することが出来ず、日々非常にモヤモヤしている。そして長年僕アンチと一緒にいたせいか、僕アンチが現れるより前に僕アンチの言いそうなことを自分で考えてしまうようになってきている。

もし万が一僕アンチが僕の中から消え去っても、僕アンチの残滓が僕の中に残ると思うとどんな幸せな未来が待ってようと僕の気分は晴れない。

反面女教師

朝だ。僕の朝を告げるのは引きこもりのA子さん(19)だ。彼女は夜は寝ない。彼女に起こしてもらうと夜しっかり寝ることの大切さを毎日噛みしめることができる。

朝食の時間は拒食症のB子さん(25)に報せてもらう。健康な食事というのは大切だ。

出勤の時間は発達障害で職を転々とするC子(33)さんに報せてもらう。気付きにくいが、普通に働けることというのは案外尊いことなのだ。

昼食はブラック企業に勤めるD子さん(22)と共に摂る。どうやら僕の職場は恵まれているようだ。午後も頑張れそうである。

退社した後肥満体のE子さん(45)と共にジムへ行く。ただし彼女の用があるのは毎回隣の喫茶店だ。僕のトレーニングにも熱が入る。

夜僕は婚約者のF子さん(24)と肌を重ねる。彼女はなんの反面教師かって?そんなこと自分で考えてくれないか。

家の渇き

僕の友達のKくんにはパパがいない。Kくんのママを半ば強引に故郷から連れ出して、KくんとKくんのお姉ちゃんが生まれてからどこかへ行ってしまったらしい。Kくんのママは怒ると怖いけど基本的には優しい。いつも「Kと仲良くしてくれてありがとうね」と僕に言ってくれる。Kくんのお姉ちゃんは優しいけど、いつもヤンキーみたいな友達と遊んでいるので近寄りがたい。

僕はKくんの家に遊びに行くのが好きだ。安心する。それは決してKくんちを見下しているわけではない。Kくんちの空気は渇いていて、その渇きは僕も持っているものなのだ。僕の家には居場所はない。兄弟は僕より優秀だし、みんな仲良さそうで、僕なんかはいない方がいい。Kくんのママは褒めてくれるし、Kくんは僕に一目置いてくれている。僕は今日もKくんちに来ている。

KくんとKくんのママはよく喧嘩をする。最近では僕の目の前でも遠慮なくしている。僕はそれも不快ではない。Kくんのママは怒ると故郷の方言が出て、いまいち何を言っているのかは分からない。Kくんは理解できているのだろうか。僕の両親も喧嘩はよくする。でも僕は我が家の渇き方は好きじゃない。それはひょっとすると僕が産まれてこれからも生きていかなくてはならない家だからなのかもしれない。

まずい料理屋

あんな店だれが行くんだ〜って言ってたけど、実は僕ああいう店行くのが好きなんですよ。ああいうボロボロでいかにも不味そうなご飯屋さんね。しかも穴場を探してるとかじゃなく、不味い方が嬉しいんです。だって、まあもうここからは変な話なんですけど、美味しいなら美味しそうな店構えにしろよ!って思いません?不味くてこそこれこれってなるってなもんで。

僕は料理できないけど、不味いものは食べれば不味いってわかるじゃないですか。それも「パサパサしてる」「味が薄い、濃い」とか、原因もある程度わかる。それを見抜けた時に感じる優越感が僕は三度の飯より好きなんですよねえ。もうその時点で僕の方が上ですからね。

あとね、探して見ると分かると思いますが不味い店って意外とないんですよ。不味かったら淘汰されちゃいますからね。それでもどういうカラクリなのか不味い店は存在しますからね〜。不思議です。そんな神秘的なところも好きですねえ。

不味そうな店行った時に気をつけなきゃいけないのは看板メニューを頼むことですね。どの店だって得意不得意はあるだろうし、看板メニューが不味くてこそ!ですからね。

家裁判

私ね、こんな風に電車の窓から外を見てると信じられないな〜って思うんですよ。この家並み全てに持ち主がいて、これを建てた人たちがいるんですよね。信じられないな〜って。

いくら私が信じられないって思ってもこうして証拠は並んでるんですけどね。そうなってくるとなんだか裁判にかけられてるみたいですよね。「これでもまだ認めないのか!」ってね。あ、別に強迫観念があるわけじゃないんで心配しないで。

でもだって、逆に私も言いたいですよ。「なんのために?」ってね。こんな整然と沢山並んでて、一体ゴールはなんなんでしょうね?感傷に浸ってるわけじゃなく純然とした疑問として湧いてきちゃうんですよ。ないです?そういうこと。

こんなこと言ってるけど私も持ってるんですけどね。家。勘違いしないでくださいよ! あくまで家内や親の意見による産物ですので。……って、ずっと思ってたんですけどね〜。どうやら私の意思でもあったみたいなんですよ。どういうことかっていうとね、最近物置から私の小学校の卒業文集が出てきたんですよ。そこまで言ったら分かりますよね? そうです書いてあったんです。「家を建てて奥さんと子供と楽しく暮らしたい」みたいなことがね。だから子供の私にも理解できてたことみたいなんですよね〜。いつから疑い始めちゃったんでしょうね。

童貞

「愛してるって言ってくれたら私はあなたのものよ」って言われてるようなもんだけどなんでそんな事しなきゃならないんだ。俺は実際は愛してるかもしれないけど、愛してるなんて思ったことはないしそんなことを口に出すのは軽率な印象を受ける。

「女にそこまでされて手を出さないなんて男じゃない」って友達は言うかもしれないけど、俺はそういう尺度で生きてないしお前はこの話に関係ないからそんな熱量で説教するのはおかしい。少し黙っててほしい。

たしかに一理はある。俺だってそういう風になる方向に行くように振舞っていた節があるし、相手の女からしたらある種予定調和というか、空気を読んだというか、なんにせよああいう態度になるのは異常とはとても言えない。しかし俺はどうにも溜飲が下がらない。

俺は結局「愛してる」と言うと思う。そしてあの女を抱くだろう。結局それが童貞の限界だ。俺は一生気持ちは童貞のままなんだろう。女の要領の良さには恐怖さえ覚える。彼女たちは俺が考えないことを日頃考え、俺の出来ないことが出来る。それを認めたくない俺の中のプライドの残滓が、もしかしたら最後の抵抗をしているだけなのかもしれない。