ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

東北は陰湿

自分が大学受験の後期試験を受けるために東北に行った日、あの大地震が起きた。当然な気もするが予約していたホテルからは「人を泊められる状態ではない」と断られ、その日は大学の敷地で野宿した。次の日が試験の当日だったのだが、試験の時間まで暇だったので自分は近所をうろちょろしてみることにした。

倒壊しているような建物は見当たらないが信号は止まり、警察の人?が信号の代わりの役目を果たしていた。コンビニはどこも長蛇の列ができていた。みんな食料の買いだめがしたかったのだろう。自分は時間がつぶしたかっただけなのでとりあえずブックオフに入った。

しばらくブックオフで立ち読みしているとどこからか「臭くね?」「臭いよね」という数人のヒソヒソ話が聞こえてきた。無視していたのだがあまりに耳障りなので声の発生源を探すと、野球部っぽい高校生が4、5人でヒソヒソ集まってニヤニヤ笑いあっていた。自分が見にきたことに気付くとその集団は逃げていった。「これはもしかして」と思い、陳列棚を見ながらという感じでその集団の方に近付くと彼らはどんどん逃げる。そこで自分は「やっぱり俺のことを言っていたのか」と気が付いた。

前日に大地震があり街が混乱気味で、ラジオからはその被害の大きさを知らせるニュースが止まらずに伝えられている中、そんなイジメのような悪趣味な遊びに興じる神経というのは一体どういうものなのだろうか。偏見もあるかもしれないが、自分は初めて踏み入れた東北という土地で強烈な衝撃を受けた。自分の地元ではまずこんな体験は出来ない。

確かに前日は野宿だったので多少は不潔だったかもしれないが、他人を不快にさせるほど臭くなっていたとは思えない。当の高校生たちも迷惑がってるというよりクスクス笑っていたし、悪趣味な遊びにしか見えなかった。自分は不快な思いとそこそこのカルチャーショックを抱えて店を出た。試験は滞りなく済ませられたが、東北に対する最悪な印象は自分の中で一生残っていると思う。

夢昨日の

1ターン目:「ドロー。なになに、森の中にあるオアシス的な絵の土地か。これは見たことないから効果を読まないとな。『(青),T:マナプールに(青)(青)を加える。(白),T:マナプールに(青)(緑)を加える。(緑).T:マナプールに(緑)(◇)(◇)を加える。』か……。つまりこれは、どういうことだ?これ1つじゃマナ出せないから初手ではないにせよ、どういう動きをするのかサッパリ分からないぞ。1つ目から読み解いていくと、青があれば青になる。白があればその白を青緑にできる。緑があれば、無色の2マナ土地になるのか…。最後はまあ強いけど、ほかの2つ、特に白があるときの挙動のクセがすごいな。そして自分の手札にある土地が出すマナはよりによって無色と白か……。まあ初手は平地で仕方ないとして、これ出したらどうなるのかが未だによくわからないぞ。というか手札に(白)(1)がいるけど、2ターン目にこの変な土地出したらこいつ出せないのかよ。まあとりあえず平地だしてターン終了するかな。

………

1ターン目:「ドロー。どれどれ、なるほどこのデッキはラクドスカラーっぽいな…………。」

新人類

自分が病院にいけば絶対になにかしらの病名をもらえると思う。要因が先天的なものか後天的なものかは分からないが、昨今よく聞くなんちゃら障害みたいなやつは一個くらいは賜られられるのではないかと思う。学校で馴染めた試しはないし、集中力もないし、対人関係も得意じゃないし、どういう診察をするのかは知らないけど早めの段階で医者もなにか察するのではないだろうかと思う。しかしまあ自分でそれっぽい要素を列挙していくと、どれも甘えのような感じもする。本気で時間をかけて鍛えれば矯正も難しくはなさそうにも思える。しかし実際そんなことをするのは面倒くさい。この面倒くさいというやつも自分が抱える障害によるものに違いない。なぜかというとおそらく自分のように矯正の努力をしないことは常人には耐え難いことのように思えるからである。「しなくてもいいことをするには、莫大な量の理由が必要である」という自分の行動原理は一般人には嘘のようなものなのではないだろうか。しかし耐えられないという点を抜き出すと、常人の方が脆いということにならないだろうか。とすると自分は単純に人類として次のステップに進んだ「次の常人」のような気も、まあほんのちょっとだけしないこともない。ということはまあ結局常人の医者から見たら異常者であるから、冒頭の予想は覆らないことになる。

世界がもうちょっと完璧ならね

前も書いた気がするけどやはり「自分の人生が順風満帆だった」というコンプレックスも存在すると思う。自分の中で、そういう人は順風満帆じゃない人に対するアドバイスや持論を説きたがるイメージが強い。その心理を推察するに、他人の厄介ごとを分けてもらいたい心理が働いているのではないだろうかと思う。この時点でも少しいけ好かないが、まだ聖人とも言えるだろう。しかしそういう人はその人生。順風満帆たらしめた適切な警戒心を持ち合わせている為、厄介ごとに本格的に首を突っ込む前に適切な壁を設けてしまい、結局二次災害に巻き込まれずに済んでしまっているような印象もある。それゆえその性分によって、結局そういう地位を順風満帆に確立してしまい、意識してるのかしてないのかは知らないがその根深いコンプレックスをより強固なものにしてしまうのである。

癌痛

今日末期ガンの祖父に会った。全身に転移しているらしく、とても辛そうだった。ギリギリ話せるようだったがとにかく辛そうだった。母親の父だけに、珍しく母も感情を抑え込んでる様子だった。自分はどんな顔をしたらいいのかも何を話しかけたらいいのかも分からなかった。母が自分に何か声をかけるように促している感じがしたので必死に考えた結果自分の頭の中は「どこが痛いの?」という質問で埋め尽くされてしまった。なんとなく空気が読めてない感じがしたので当たり障りのない言葉を選んで声をかけたが、祖父は「ありがとう」と言ってくれた。

でも実際ガンになるとどこが痛くなるのだろうか。「ガン=死ぬ」というイメージだし、「ちょっとガンが痛い」というセリフも聞いたことがないので考えたこともなかったが、現実の祖父は辛そうだったし、どう見てもどこかが痛そうな様子だった。残された時間は少ないが、もし万が一2人っきりになる機会があったら聞いて見たいと思う。

QOL

自分にはどうやら病院を嫌がる血が通っているらしい。父方の祖父は命に関わる入院中に看護師に噛み付いて脱走を試みたし、母方の祖父は末期ガンなのに現在進行形で抵抗を続けている。そんな姿に母親は現在進行形で呆れているし、父方の祖母も苦労していたことが窺い知れる。

母方の祖父は半世紀以上ヘビースモーカーを貫いた人で、母親は会う度に「タバコ辞めろ」と詰め寄り、毎回言い合いになっていたらしい。そんなことから察するにとっくに覚悟はできていたのだろうか、末期ガンになった今も飄々としていて、会うと冗談を飛ばして周りを笑わせてくれる。

ただそんなときでも自分の母親は笑わずに呆れ顔を保っている。そんな様子を見ていると、どれだけ頑固なのだろうかとこっちが呆れてくる。そもそも、自分は吸わないけど健康なんて気にしてタバコを吸う人間はいないと思う。同居しているならまだしも、もう棲む家も違う人間にタバコをやめろなんて言う権利はあるのだろうか。ろくに娯楽もない山奥で「これで頑張って生きてやるよ」とタバコで妥協してあげて頑張つまてきた祖父の矜持みたいなのを汲み取る気概はないのだろうか。

さきほど父方の祖母にガンの方の祖父の話をしたときの反応も、呆れに近いものだった。我が家にいる女どもの共感能力というか、察する力というか、汲み取る力というか、寄り添う能力はどこに行ってしまったのかと自分は今憤慨している。母親と父方の祖母は仕事大好き人間というお気楽な人種なので、細やかな人間の情緒みたいなものを理解できないのではないかと思う。

音楽王国

音楽が好きで、気に入った曲はしつこく何度も聞く。それは研究ごっこであり、男性的な接し方だと自分で思う。好きな曲を集めて共通する特徴を探ったり、物足りない曲はなにが自分にとって物足りないのかを探ったりしてみる。そうやって勝手に自分の定義で体系化し、自分がルールの王国を作り上げる。そうしえ出来上がった王国の中で流れる曲たちは、あたかも自分に従って自分の為に音を奏でているかのようでもあり、えも言われぬ陶酔感を与えてくれる。

それをなぜ男性的だと思うかといえば、自分が男だからだ。それと女の趣味に対する入れ込み方を見てると「なんか違うな」と思うからだ。

女も音楽好きだし、色々鑑賞する。あと演劇が大好きだ。男も演劇好きはいるけど結局比較分析したがってると思う。それを思うと女は演劇に対して真摯で敬虔に見える。比較分析なんてしたがる男を軽蔑してるんじゃないかとさえ思う。女の気分を害したくはないので、今日も自分は我が王国に引きこもり圧政を続けている。