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ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

おかん

母の日だけど、母に何かをプレゼントしようなんて発想が湧いてくる気配もない。ましてや手紙だなんて一行も思いつかない。母親のことを考えると色々と腹の立つ思い出は想起されるけど、かといって今現在強い恨みを抱いているというわけでもない。ただ単純に母親という感じがもうしないだけだ。自分のことばかり考えていて子供っぽく、「母性とかあるの?」と聞いてみたときに「あるよ!」と元気に答えられた時は驚いたくらいだ。自分が自立して距離がかなり離れたら母の日とかいう発想も湧いてくるのかもしれないけど、そんな自分と今の自分の距離が今はかけ離れている。

母親という概念について考えると、寺山修司の「田園に死す」における母親。アレハンドロ・ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」における母親。ひいては「ダウンダウンのごっつええ感じ」におけるマーくんの母親など、切ろうとしても切り離せない母親に対する執着みたいなものが自分の脳裏にはよぎる。しかしそういう執着の正体は実は自分の抱いているものと同質のものなのかもしれないとも思ったりする。母親という概念と現実の母親との乖離。母親が求める息子の自分と現実の自分との乖離。そういう上手くいかなさという点においては自分も執着し、されている部分が認められるのかもしれない。しかし逆に考えるとこの噛み合わず上手くいっていないことがなによりも、作り物でなくて現実の親子の証拠という見方もひょっとしたらできるのかもわからない。