ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

私の脳みその綿

脳みそは昔は透明で澄んだ水だったと思う。そういう実感は無かったけど、今思い返すとそういう脳みそ像が想起される。今自分の脳みそには目が細かい綿ががっかり詰まっている。これでは水温がさがらず、外からの情報もありのままインプットできない。自分はこの綿を取り除きたい。「取り除きたい」というのが自分本来の欲求で、「取り除いてはいけない」というのが、綿側の要求だと思う。後から来たくせに「俺を取り除いてくれ」なんていうのは、おかしいと思うからだ。

それぞれの言い分はこうだ。脳みそ側は「もっと澄んだ目で世界を見た方がいい」と言っていて、綿側は「せっかく何年もかけて出来た綿を経ての観点を取り除いてしまってはもったいない。澄んだ視点なら、なんとなく分かるだろ。」という具合だ。

自分は別にどっちでもいい(急いで取り除く理由もない)感じなのだが、気になるのが上の主張がそれぞれ、それぞれによるものなのかどうかだ。あと彼らの言い分とは別に、綿を取り除いたらなんとなく、馬鹿になる気がする。これは本能かなにかの意見だろうか。

外を散歩なんかしていても暖かくなってきたことを肌で感じる。脳みその熱さも気になる季節になってきたということだろうか。