ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

本音建前

どうしたって説教してみたくなることがある。これはもしかしたら怠け者特有の振る舞いなのかもしれない。自分が変わるのはあまりにも面倒臭すぎるから、他人を変えていきたい。

面倒臭いというのも難しい。建前では「なぜ世界がおかしいのに俺が変わらなければいけないんだ」というのがある。大差ないが、面倒臭いよりは多少は耳障りのいいフレーズになっているため「建前」のように思ってしまうが、もしかしたら本当にそう思っているのかも分からない。2つの性質の異なる概念が自分の中に発生したとき、自分は困難な方を建前、安易な方を本音というふうに無意識に分類してしまうようになっている。

これから多分困難なこともしていく気がするが、建前もとい大義名分に基づいている可能性は皆無に等しいように思える。その正体は単純に、気まぐれだ。

自分が自分の行動原理を気まぐれで片付けがちなのは、それが安易な本音だからだろうか。だとしたら大義名分の方もちゃんと考えておかなければバランスがとれない気がする。