ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

鬱陶しい

前提がおかしい文章を読むと目眩がする。現実の社会にせよツイッターみたいなバーチャルな社会にせよ、そこにどっぷり浸かるとどうしたって人間は自我が拡張してしまうように感じる。その社会の中でなにが自明かなんてその社会に属する人間にしか分からないのに、あたかもそれが前提であるかのように話す人というのは、もはや珍しくも何ともない。

あれやこれやと現時代的な概念について思いを巡らせて、ある意見に乗っかってみたりある意見を批判したりしているのを外から眺めるのはなんとも雲を掴むような気分だ。よくよく読んでみると実はある特定の社会を批判する内容だったりするとなおさら力が抜ける。

何かを押さえつけるような意見はそれ相応の反発があって当然だ。いろんなものを批判するいろんな文章を読んだことがあるが、総じて今ハッキリと言える自分の意見はそれだけだ。

まあ人間が何かを批判することも普遍的なことだとも思う。それならせめてそう思ったきっかけを書いておいてほしいが、必ずしもそうはいかないようだ。昔からある「最近の若者は〜」論も、それだけみると若者は反発するだろうが、もしそれがなんかのドキュメンタリーを見た結果抱いた意見なら若者も「ああ、影響されやすいやつなんだな」としか思わないんじゃないだろうか。