ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

残滓

へんなユーチューバーの分析するまとめを見てて、自分にもあてはまるような感じのする指摘があって閉口した。端的にまとめると「子供の頃よく怒鳴られて叱られてきた人間は、自分の言ってほしいことを相手に言わせたり、提案する時に自分も譲歩するアピールをする」「相手の逆鱗に触れないように、しかし自分の欲求を常に優先する」というような書き込みだった。

自分は子供の頃から理屈っぽく、それでいて欲求を満たす為の理論が破綻しているようなところがあり、よく大人に力で黙らされていた。そういう時は「今は道具を使っても大人に勝てるか分からないが、あと10年もすればこいつらなんてやっつけられる。」と自分に言い聞かせて我慢してきた。まあ大半の場合理屈は大人の方が正しかったので、我慢というのもおかしいけど、自分を抑えて踏みとどまっていた。

当然今はもう道具を使えば誰でもやっつけられる。しかし当然そんなことをするほど頭はおかしくないし、当時自分を抑圧させていた大人も時を経てみんな丸くなり、衝突することもない。当時「いつか俺が黙らせてやる」と思っていた相手はもういないのだ。もちろん「いつか黙らせてやる」と思っていた自分の中の憎悪もすっかり燃えさしとなり、自分を突き動かす原動力にはなり得なくなってしまった。

そういう怨讐を抱いて過ごした時間は周りからすれば何もしていなかった時間に等しい。自分は自分の四肢を抑え込んで黙らせる大人を最後の敵だと思い込み続けていたが、その思い込みは最初から合理的ではなかった。おそらく昔からそのことに自分も気付いてはいたと思う。しかしそれでも「俺が間違っていた」と一度でいいから屈服させたいと思い続けていた。今の自分が当時の自分に言い聞かせる言葉があるだろうか。多分まだそんなものは存在しない。これはどういうことなのだろう。おそらくその意味も、本当は気付いているのだと思う。