ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

ノー人生ノーライフ

人生訓みたいな臨床データもなければ統計データもない勝手な理屈で導かれた道徳は利己的なものでしかないということを人類はもっと理解すべきだと思う。間違ってもそれは他人に押し付けられる性質のものじゃないし、そんなものにすがっていることは少なからず恥じるべきだと自分は思う。

あと自分の思考を過信しないこともいい加減覚えた方がいいと思う。無知の知だとか昔の人は言っていたが、それくらい中学生でも習うことだといって軽んじられてはいないだろうか。中途半端に無知の知だなんて概念を齧ってしまっている人間は無知の知の知を再考すべきだと自分は思う。人間がしゃべることなんて、ほぼ全部受け売りなんだから、その元ネタは潤沢な方がいいと思う。勉強するのが邪魔くさいと思う気持ちは自分にも分かるので、せめて無知なことを開き直らずに恥じる姿勢を持つべきだと思う。

自分のしょうもなさを晩年振り返って「あの頃は若かった」だとか言う人生なのだろうか。そんな人生がそもそもしょうもないと思う。自分の人生に何も障壁がなかったというコンプレックスも理解はできるが、だからといって一生馬鹿のままでもいいものなのだろうか。今の自分にはもうその気持ちまでは推し量るに余りある。