ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

すぽこん

スポーツマンへのコンプレックスはどうしたら解消されるのだろうか。これはおそらく自分の人生のテーマの1つなんだろうけど、正直こんなテーマはかっこう悪くて嫌だ。

自分が最初に習っていたサッカーは友達関係が上手く行かず辞めたが、正直そもそも向いていなかったと思う。結構な期間やっていたのにリフティングとかすら出来るようにならなかった。

次にやった水泳は個人競技で、ひょっとしたらまあまあ向いていたのかもしれない。しかし続けるモチベーションが湧かず辞めた。そして別になんの後悔もしていない。

その次のバスケは1番向いていなかった。「身長あるから有利なんじゃないか」なんて安直な考えを持った自分は本当に愚かだった。

小学生の頃、マラソンを学校が推していて、無闇やたらに走らされていた記憶がある。その頃は周りと一緒に特になにも考えず走っていられた。中学に入ってから「走る意味」に意識が行ってしまったのだが、その時点で衰え始めていたということなのだろうか。

周りの友達がみんな続けられていたバスケ。根性が足りず自分だけが続けられなかった事実は、その後の人生にとって少なからず痛手になったような気がする。「バスケ部だった」と言われたら、自分は心からその人を尊敬することが出来る。

そんな風に他人を尊敬出来ることはもしかしたらいいことなのかもしれない。しかしだからといって卑小になっていては良くないような気が、なんとなくだけどする。しかし例えば俺のなにかを元バスケ部が認めてくれて尊敬してくれたとしても、自分の卑小さは変わらないような気がすることも実際問題として事実だ。

サッカー少年だった時代から、結局スポーツの地位に納得していないという事なんじゃないかと思ったりもする。スポーツすることがいいことだということに異論を持ったことはない。しかし現代のスポーツは過大評価のような気がずっとしていることもまた自分の中では揺るぎない。

サッカー少年だったかつての自分がこんな歳になっても未だに、「ただ球を蹴ってるだけじゃん」と言い続けて聞かないのだ。