ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

回避依存性

自分は回避依存性らしい。ネットで回避依存性というワードを見かけて気になり検索にかけたら、自分の特徴が羅列されていた。初めて見る病名を検索して「これは自分のことだ」と思ったことは何度となくあるが、これは今までで一番自分だと思う。色々な弊害が書かれていて割とボロカスに言われている心の病気らしいが、今現在自分自身は肉親くらいにしか迷惑をかけていないので世の中に対する害は少ない方なんじゃないかと思う。とはいえ自分の病名が1つ明らかになった以上は改善しようと善処しなければならないだろう。自分も回避依存性の端くれなので「治したところで誰になるというのだ。自分が形作ってきた自己の呼称や特徴や弊害が白日の下に晒されたところで、世のため人のためにそれを変容させる義務なんてない」とでも言いたいところだが、それは回避依存性の中でも最弱の思考回路ではないだろうかと思う。

回避依存性とわかった上で回避依存性っぽいことを言うのと知らずに言うのでは意味が違う。これからは回避依存性然とした思考回路に1つ回避依存性という名前の検問ができたのだ。回避依存性の回避方法の1つに「複雑に考えすぎるな」というやつがあったが、これからしばらくは必然的に1つ多めに考えなくてはならなくなってしまったわけであり、回避依存性という言葉を知ったことによって自分の回避依存性は一段階ひどくなってしまったわけである。

それを踏まえるとやはり回避依存性を否定するのは最弱だろう。複雑なプロセスがせっかく追加されたのに、それを無視してしまっている。それだったら肯定し、改善を表明した方がベターなんじゃないだろうか。したがって自分は回避依存性として、回避依存性の改善を心がけようと思うに至った。