ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

レビューのレビュー

今の世の中、なにを取ってもそれに対する反応やコメントにあふれている。そのコメントがどの程度の深みを持っているかに関わらず、それは大抵の場合恒久的にウェブ上に残る。残るからにはそれを見た人の反応も無限に考えられるので、せめて自分だけでも深さを把握した上でウェブ上に残すようにしたい。

物事の捉え方にはその深さによって「印象」「感想」「考察」に分類できると思う。ツイッターのツイート1つを例にとると、「印象」は回って来たツイートに対する第一印象。「感想」はそのツイートをした人の他のツイートを見てある程度その人の人格を把握した上での、ある程度練られた自分の考え。「考察」は世相や時代背景、そのツイートが生まれた経緯や話題になった理由など、自分に考えうる全てを総合したその時点における最終的な自分の考え。おおまかに考えてもこんな風に分類ができると思う。

ツイートの場合は一例であり、自分が何かを感じてそれを言葉にするときならどんな時にでも当てはまる概念ではないかと思う。たとえば他人のコメントが印象なのに、考察だと思ってしまうとアプローチの時点で齟齬が生じてしまうことになる。

自分の日記の記事は正直、ほとんどが印象でこれもそうだと思う。一度湧いては少し塾考すると消えてしまうような気持ちを、消える前に書き留めておきたいといつも思っているからである。この日記が何に対する印象なのかと言えば、ある動画に対する評価の高いコメントが印象だった印象を受けたからである。「こんな浅い意見が、さも普遍的な考察であるかのように扱われている」という印象に対する印象が、この記事として発露している形となっている。