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ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

理性の本能

日本においては大柄に分類される体格をしているけど、役に立った試しが一度たりともない。昔から理屈っぽく、理屈がすべてだと思って生きてきている。子供の頃、親や親戚は武力をもって「理屈が全てではない」と教えようとしてきてくれた。理屈がうるさすぎることによって母親の妹の旦那さんに羽交い締めに押さえつけられたことがある人間はそれほどいないのではないだろうかと思う。しかしその教訓を自分の脳は理屈で処理して、結果こんな威嚇的な体格にしてくれたのではないかと思うこともある。

長年理屈を標榜に掲げて生きてくると、理屈のダメなところも当然見えてくる。理屈は当の理屈自身のことさえも組み伏せることが可能なのだ。たとえば他人と話している場合は、最初に打ち出した理屈にほころびがあるとそれを補填する為の少し無理な理屈を捻出しなければならなくなる。そういった苦労は正直いって不毛だ。というかそもそも考えてみると、理屈そのものが何も生み出さず不毛な場合が多いような気さえする。しかし残念な現実を合理化する為に人より多めの理屈の処方が必要だったことも事実だとは思うし。それによって自分の精神が概ね、これは自分基準でだが、概ね均衡を保ちながら生きてこれたのも事実だと言えると思う。理屈は未来のことに言及していたとしても未来の為であることはほとんどない。理屈は専ら過去の尻拭いをさせられている苦労人なのだ。せめて自分だけでも、これからも理屈に寄り添って生きていこうと思う。たとえ片思いだとしても理屈に孤独な思いをさせないように、裏切らないようにして生きたいと思う。