ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

アウトロー

小学生の高学年か中学生くらいに達したときに少しは周りが見えてくると「自分が尊敬されるような人間ではなく、これからもシビアな評価しか受けない」ことに気がついた。世の中の人間たちは自分のことなんて見てないというがそれは厳密には間違いで、実際には見くびられているんだということに気がついた。それはそれで極端な考え方なんだけど、そういったときに羨ましくなるのが、そういう原則的で平等な評価という恐ろしいものを受けない人間のことだ。たとえばそれは障害者であり、同性愛者であり、精神病者である。実際のそういう人を見て羨ましくなったわけではなく、「そうだったらある程度仕方ないなって思われただろうに」という決めつけによる憧れを抱いたのだ。自分が何か出来なかったとしても「努力が足りない」とか「才能がない」とか言われないような気がしたのだ。

そう思った時に自分はまた、同性愛者と障害者をやりきるのは無理な感じがした。なので消去法で精神病っぽくなってみようとした。気が狂った人間がしそうなことをイメージし、1人で色々実行に移してみたのだ。それは自分が中学を不登校しているときだった。

うずくまって喚いてみたり、紙やノートに精神病っぽいことを羅列してみたり、部屋をめちゃめちゃにしてみたりしたのだが、どうにもしっくりこなかった。なんかやってることが薄ら寒いような感じがしたのだ。やっている時は手を抜かず、照れや恥ずかしさを振り払ってやりきっていたはずなのにである。結果的に当時の自分は「世間的に精神病の認識を受けている人間は、この難しい役の演技を洗練させて説得力を持たせるだけの才能のある人」であるような気がした。「何をしている人間が精神病に見えるか」を的確に知っている人のようがしたのだ。結局のところ自分は努力や才能が不足していて、精神病としての評価を受けることもできない人間である現実に直面し、さほど深くではないが落胆した。