ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

Tautolosophy

「普通」という概念に疑問を抱く人は、疑問を抱かない自分にとってすごく普通の人間だ。

自分は中学生で不登校だった頃、家でネットをひたすら見ている日とかがザラにあったが、そんな自分のことを普通だとは思っていなかった。とりたてて切羽詰まった思いを抱えていたわけではないが、ネット上にいる頭の良さそうな人たちなら自分のモヤモヤみたいな感じの正体も知っているんじゃないかと思い、開かれたチャットルームを徘徊してみたりもしていた。自分は病気ではないという確信はあったのでメンヘルのチャットなどには行かず、当時の自分は哲学のチャットルームに目を付けた。様子見で入ってみると、そこでは常連みたいな人たちが4、5人、難しい言葉で会話している感じだった。中学生の自分は「どうせ匿名だから」と、臆面もなく会話に割り込み「どうしたら普通になれるか」といきなり聞いてみた。その時の常連の一人の返事が「普通とは何か」だったのである。自分は深く考えず「異常じゃないこと」と答えたと思う。常連の返事は「異常とは何か」だった。今思えばまあまあ親切な返事だとは思うが、当時の自分は率直に言ってガッカリした。その後は具体的には覚えていないが、あれこれ禅問答を繰り返し、最終的にちょっとそこの人たちと仲良くなったりもして終わったと思う。少なくともそこで自分のモヤモヤした感じが晴れることはなかった。

それ以来、「普通」に疑問を呈する人を見るたびに「もういいよ」という気持ちになる。「普通ってのは「普通とは何か」って思うような事だよ」と、一瞬言いたくなるが、それもなんだか哲学チャットの常連の言い草っぽいので、心にいつも留めている。それによってまた自分の心のモヤモヤした感じが蓄積されないことだけ祈りたい。