ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

家裁判

私ね、こんな風に電車の窓から外を見てると信じられないな〜って思うんですよ。この家並み全てに持ち主がいて、これを建てた人たちがいるんですよね。信じられないな〜って。

いくら私が信じられないって思ってもこうして証拠は並んでるんですけどね。そうなってくるとなんだか裁判にかけられてるみたいですよね。「これでもまだ認めないのか!」ってね。あ、別に強迫観念があるわけじゃないんで心配しないで。

でもだって、逆に私も言いたいですよ。「なんのために?」ってね。こんな整然と沢山並んでて、一体ゴールはなんなんでしょうね?感傷に浸ってるわけじゃなく純然とした疑問として湧いてきちゃうんですよ。ないです?そういうこと。

こんなこと言ってるけど私も持ってるんですけどね。家。勘違いしないでくださいよ! あくまで家内や親の意見による産物ですので。……って、ずっと思ってたんですけどね〜。どうやら私の意思でもあったみたいなんですよ。どういうことかっていうとね、最近物置から私の小学校の卒業文集が出てきたんですよ。そこまで言ったら分かりますよね? そうです書いてあったんです。「家を建てて奥さんと子供と楽しく暮らしたい」みたいなことがね。だから子供の私にも理解できてたことみたいなんですよね〜。いつから疑い始めちゃったんでしょうね。

童貞

「愛してるって言ってくれたら私はあなたのものよ」って言われてるようなもんだけどなんでそんな事しなきゃならないんだ。俺は実際は愛してるかもしれないけど、愛してるなんて思ったことはないしそんなことを口に出すのは軽率な印象を受ける。

「女にそこまでされて手を出さないなんて男じゃない」って友達は言うかもしれないけど、俺はそういう尺度で生きてないしお前はこの話に関係ないからそんな熱量で説教するのはおかしい。少し黙っててほしい。

たしかに一理はある。俺だってそういう風になる方向に行くように振舞っていた節があるし、相手の女からしたらある種予定調和というか、空気を読んだというか、なんにせよああいう態度になるのは異常とはとても言えない。しかし俺はどうにも溜飲が下がらない。

俺は結局「愛してる」と言うと思う。そしてあの女を抱くだろう。結局それが童貞の限界だ。俺は一生気持ちは童貞のままなんだろう。女の要領の良さには恐怖さえ覚える。彼女たちは俺が考えないことを日頃考え、俺の出来ないことが出来る。それを認めたくない俺の中のプライドの残滓が、もしかしたら最後の抵抗をしているだけなのかもしれない。

人間ごっこ

なぜ自分は芸術が好きなのだろうかと考えた結果、優れた(と自分が感じる)芸術が優れた人間ごっこだからという気がした。

自分は人間ごっこをしている。自分の意志、欲望、本音に従って生きたら、多分自分は人間社会で生きていくことはできない(そしてそういう人は決して少なくないと思う)。だから社会にギリギリでもしがみつくため、人間ごっこをしている。なんでこんなことを言うのか分からない。こんな効率が悪くて意味のないことをする理由がわからない。そういうことを分からないままやっている。そしてそれはある程度自分を人間として社会に認めさせていると思う(ただしあくまでギリギリである)。

優れた芸術は人生を表している。人生の全てを表してはいないが、人生の大事な部分を表しているかのように強く他者に思わせることに成功している。そういう意味で、人間ごっこの一種の到達点である。

自分は人間ごっこをしなきゃならないことに悲観してはいない。程度の差こそあれど皆やってることなのだろうとボンヤリ思いながら生きている。性格的に、自分には人間ごっこを辞める度胸すらもない。なので自分は芸術に自分の核を求める。脆弱な自分を補強する強い人間ごっこは明日の自分を支えてくれる。

苦しみテスト

「お前、またきたのか。今度はどんな見当違いを持ってきたのか、こちらももう見当が付かないぞ。」

「まあまあ聞いてくださいよ。持ってきましたよ新しい苦しみ。」

「どんなものだ。聞くだけ聞いてやろう。」

「どんなものって言うのはちと難しいんですがね。たとえば新しく知ること、ってあるでしょう?釣りの仕方だとか、勘定の仕方だとか。」

「ああそうだな。それが人間様の特権ってやつだ。」

「はい。ただ人によって、どうしたって出来ない。何回教わっても無理。ってことって何か1つはあるもんでしょう。」

「ふむ。言われてみるとまあ、そうかもしれんな。とすると、それがお前が今回持ってきた苦しみってことか?」

「いえいえまさか。そんなチャチな苦しみを持ってくる私じゃございませんよ。まあ聞いてください。そう考えていた時に私気づいちゃったんですよ。」

「ほう、これは面白そうな話じゃないか。何に気付いたって言うんだ?」

「人間は学んでいると勘違いしているだけで、実のところただ思い出してるだけなんじゃないかってね。それに気付いちまったとき、私の心はキュッとなったわけですよ。そこで理解したわけです。ああ!これが苦しみかってね。」

「……。

お前は毎度、とんでもない苦しみを持ってきてくれるな。俺個人として、そこは評価しよう。あっぱれだ。

しかし、そんな苦しみを持ってこられてもお前をこの村に入れることは叶わないんだよ。俺にも立場ってもんがある。悪く思わんでくれ。」

「そうですか。いやいや、見当違いな与太話をしっかり聞いていただけたことに私は感謝しなきゃいけねえ。今日も長々とすいませんでしたね。」

「ああ。また来いよ。」

「はい。」

 

その帰り道、彼は他の村の男からこっそりと正解を教えてもらった。彼は帰ってからその苦しみを早速試してみることにした。彼の心は背徳感と期待で高鳴っていた。

 

しかる時間が経ったのちに彼が目を覚ますと、なんと体が動かなくなっていた。

彼は、それでも正解が分からなかった。分からないまま死ぬことをただちに悟った彼は「これが正解なのだろうか?まさかな。」と、1人心の中で自嘲した。

満月

満月の夜は脱皮する。古い皮膚が邪魔でしかたない。張り詰める古い皮膚。ところどころ隙間から新しい皮膚が見えてる。そういうところに限って痒い。しかし搔けない。掻くとボロボロと古い皮膚が散らかって不潔なのだ。あくまで自然に、服を脱ぐように剥がせるようになるまでじっと待つ。寝たら多分掻いてしまう。寝ないようにしないといけない。首筋が痒い。手の甲が痒い。頭皮が痒い。腰が痒い。唇が痒い。これもあと数時間の辛抱だ。新しい皮膚になるのは気分がいい。行動力が湧いてくる。ポジティブになる。満月が明るい。山とか道がはっきりと見える。散らからないのなら今すぐでも掻きむしりたい。うずうずする。これもあと少しの辛抱だ。我慢できないほどの痒みではない。

許されない卒業

1つのコンテンツに長い時間を捧げるのが基本になってきているように感じた。中学生で好きになったようなコンテンツをいつまでも好きな人をたくさんネットで見かけたからだ。それが悪いことだとか言うつもりはないが。「中学生とか高校生で好きになったものは、ある程度の年齢になったら卒業しないと恥ずかしい」みたいな考え方がどこか根底にある自分にとって、臆面もなくそういう趣味を公にする姿が少しだけ衝撃だったのだ。

コンテンツ側もそういうスタイルを維持しやすくさせてると思う。たとえば何かアニメがあったら漫画化、ゲーム化、小説化、映画化、グッズ展開、スピンオフと卒業を防ぐ為の方策は枚挙に暇がない。

さっき揶揄するつもりはないと言ったけど、「それで物を見る目が養われるのだろうか」と感じないわけでもない。自分は特に見識が広いわけでもないけど、帰依するほどのコンテンツに出会ったこともない。これからも帰依したくはないので、趣味に近いものばかり収集せず、まったく知らない分野にも偏見を持たないようにしていきたいと思った。

嗚咽

生きる力がない能力が本当にない。甘えてる気質が治らない。まず病院に行って毎日無理やり寝れる薬をもらって規則正しい生活を矯正して、体力をなんとかして付けてようやくスタートラインに立てる。今の自分はスタートラインにも立てていない。現実問題生きてはいるが、生きてないようなもんだと思う。生きたいという気持ちはある。多分ある。果たしてあるのだろうか。本格的に終わっている。ようやく気付けてきた。本格的に終わっていた。本格的に終わってい続けた。そのことに内心では気づいていたが、「いつ気付かされるのだろう」とそこも他力本願だった。今の終わっている状態は本当の本当に終わっているわけではなく、終わりと始まりが9:1くらいの割合で存在している感じだ。ようするに今は断末魔の期間だ。人間の80年の中となると、断末魔も一瞬ではないようだ。この最近の自分は断末魔をあげ続けている。こんな日記を書いている時点で甘ったれていることは感じる。だからといって他に出来ることもない。自分は何割間違って生きてきたんだろうか。現代社会の同世代の模範的な男の人生と比べたらどこか被っているところはあるのだろうか。

どうにかできる部分もあればどうにもできない部分もある。しかもその境界線は曖昧で、どうにも出来なさにも程度はある。現代社会は残酷で、ネット環境さえあれば必要な情報が得られるからといってあたかもスタートラインが平等であるかのように思われているような気がする。潜んでいる不平等はたいていリテラシーですまされる。

これ以上不平を書こうと思ってももう嗚咽しか出てこなさそうなのでここでもう終わる。