ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

血の力

祖母を見ていると自分と血が繋がっているのを実感する瞬間がときどきある。最近祖母は風邪をひいているらしく、病人アピールがすごい。しかし「風邪ひいた」と言いながら畑仕事をし続ける。たとえばそれをしなければ野菜の命が終わるような仕事なら百歩譲ってまだわかるが、別にやらなくてもいい仕事だし、経験が必要なわけでもないので頼まれたら自分が代わりにやることだってできる。しかしそんな仕事をわざわざマスクをしながらやり、基本的に外にいる。そのくせして「歳をすると風邪が治りにくくなる。」とのたまっている。自分はどう考えてもちゃんとゆっくり寝ていないから治りが遅くなっているんじゃないかと思うが、本人は養生している気は一切ないらしい。

そんな姿を見ていてどこにシンパシーを感じるのかといえば、自分の体調が分からないところである。どこが異常で、なんで異常なのかが分からない。言い換えれば自分の体が何を求めているのかがよく分からないということでもあると思う。自分にもそういう兆候があることは十分に理解している。たとえば寒いとき、自分の体が寒がっていることがいまいち分かっていないときなどがあるが、そういうことなんじゃないかと思っている。

そういう人は他人に言われないとなかなか行動を改めることができない。そこまで自分は自覚しているので、祖母にも「寝たれば治るよ。家で寝てなよ。」と言う。しかし優しくそう言っても、祖母の口から返ってくるのは毎回謎の憎まれ口だ。血が繋がっているはずなのだが、なぜそういうタイミングで憎まれ口を叩くのか自分には一切理解ができない。

劇場版sktngy

「はい、次の方どうぞ」

「はい。よろしくお願いします」

「え〜。熊田さんね。享年は22歳で、死因は他殺、と。ほほうそれで怨霊になったわけですな。それはそれは、よくぞ成仏してくれましたな。」

「えっ、いや、え?」

「まあまあ。60年近くも怨霊やってるともう来るに来れなくなったりするもんなんですがね。まあ立場上軽々しいことも言えませんが、私個人としてはあっぱれと言いたいですな。」

「いや、あの他殺ってなんのことでしょう?私は老衰のはずなんですが。」

「そんなはずはないですよ。だって私どもが間違えるなんて、そんなことありえます?」

「そりゃごもっともなんですけど、私も身に覚えがないのでね。今朝起きたらなんだか妙に体が軽くてね。どうしたもんかと思って足元を見たら足が無くなってたんです。ああこれはいよいよ私にもお迎えが来たかと気がつきましてね。独り身ではあったけども、それなりに、私なりにね、充実した人生だったなあとそこで…。」

「はい、はい。それはいいんですけど、あなたが死んだのは22歳の時の話なのでね。とするとさしづめ、あなたは自分が死んだことに気付いてなかったってことでしょうね。」

「ええっ。いや。そんなことって。そんな馬鹿な話ありえるんですか?」

「私も聞いたことないですけどね。状況から考えるとそれしかないかと。」

「だって私は何十年も警備員として立派に働きあげたんですよ。ああそうだ!10数年前の話ですが、不審者を私おっぱらいましたよ!」

「怨霊を見て驚いただけじゃないですか」

「じゃあえっと、私テレビを見るのが趣味だったんですが、ちゃんと鑑賞したり電源切ったりできていましたよ。」

「それくらいなら怨霊のできることの範疇なんじゃないですかね。」

「そもそも!第一足がないことに何十年も気付かないなんて、そんなこと…。」

「現にこうしてありましたからね。これ以上無駄話してる時間もないんで。まあ心中はお察ししますが、ちょっと手続きに進みましょうか。」

「ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ死んでても生きてても私の人生なんて大差なかったってことになりませんか?それじゃあ私の人生って一体、なんだったって言うんです?」

日々の掌編

今年は集中的な大雨で川が増水して農作物にも小さくない被害が及んだらしい。自分も現に、河原に沿って整然と並ぶ長芋の畑が水中にその姿を消した様を目にしている。その被害に関係しているのかどうか分からないが、毎年恒例の野焼きの煙が例年よりも多いように感じる。実際のことはなにも知らないが、自棄のように立ち上る煙を見るといつもとはまたちがう物悲しさが勝手に胸に湧いてくる。

 

職場になにかにつけて「これってこれでいいんだっけ?」と聞いてくるおばさんがいる。自分より長くその仕事をしているはずなのに自分にも聞いてくるし、ほかの人にも聞いて回る。おそらくミスをした際のリスクを分散したいんじゃないかと思う。リスクを最低限にしたいので、不安なものはとっておいて後で責任者に尋ねるという徹底ぶりである。自分が「こういう処理で合ってます」と言っても「とりあえず聞いてみてからやろう」と言って聞かない。

 

職場に花の種類を細かく分けたがるおばさんがいる。同じ品種なのに特徴ごとに分類して別々にしたがるのだ。自分が「一緒です。個性です。」と言っても信じない。しかも2種類に分類されているその束を見比べてみると確かに分けられているから侮れない。しかし自分の言うことも少しは信用してもらいたい。

祖母イラ

祖母の腹立つ口癖

「〜でいい」

 主に送迎で、いつもより少し手前で降ろしてほしいときに使う。本人的にはそれによってガソリン代やこっちの労力が減るからそういう上から妥協する言い方になってるっぽいが、こっちの労力はむしろ増えるしガソリン代も変わらない。それほどイラッとするわけでもないが、何回も言われて累積してきている。

「〜やれや」

自分に指示を出すときに使う。頼みごとなのに上からなときや、祖母に関係ない仕事のくせに上から勝手な指示を出すときに腹が立つ。タイミングや条件によっては「やれやってなんだよ。」と言い返すが、当人はなぜイラっとされたかはわかっていない。実際は単に方言というか、古風な言い回しなだけかもしれないが腹が立つもんは立つ。

「いいいいいいいい」

自分が良かれと思って「あそこ寄ってく?」「あそこの仕事もやっとこうか?」と聞いたときに全力で否定するときに使う。「いい、いい、いい、いい」なのだが、ハイトーンでヒステリックに叫ばれるとびっくりするし、本当に迷惑な印象を受け気分が悪くなる。

最後の妹

自分は下の妹と相容れない。こんな歳でそこまで仲良しな兄妹もそんなにいないことだろうし、どうでもいいことだけど、一応そのことを書いておきたい。自分一人で嫌いだと思っているよりも、書き起こした方が第三者の目線で見れると思うし、妹嫌い系の日記は以前も書いたような気がしないでもないが、改めて一回書いておいてこれで終わりにしたい。

といっても実際に「妹が嫌いだ」って思っていたのは10年以上前の時くらいだろう。それ以降は「こいつとは世界の在り方が違うんだな」と確信し、「あまり存在しない存在」として適度な太めの線を引いてお互いの平穏をなるべく崩さないように暮らしてきた。

まず妹は他人のものを盗む。自分が大事にしまっているゲームやオモチャを勝手に友達に貸していた。自分が失くしたと思い込み、忘れた頃に壊れた状態でなにもなかったように帰ってきていたりした。最初は妹のせいだと気付いていなかったのだけど、一度買ったばかりのゲームでそれをやられた時にさすがに気付き、「あれやあれもこいつの仕業だったのか」といくつか出てきて自分は当り散らした記憶がある。

それが決め手になって、その直後は「嫌いだ」と強く思っていた。しかし「電気をつけて消さない」「くちゃくちゃ物を食べる」「ドアを開けて閉めない」「笑い声が不愉快」「声のボリュームがおかしい」「考え方が薄い。浅い。」などの小さい特徴が分かっていくうちに、「この子からしたら自分がおかしく見えてるんじゃないだろうか。」「この子とは住む世界が違う」と思うようになっていった。

親が常に妹の味方についていたことも、その想いを確信に変えた。今思い返すと、自分の怒り方がきついから妹を守る為に妹サイドについていたんだろうとも推測できる。しかし当時の自分からしたらそんなことまで気は回らない。「壊したゲームの代金を弁償したい」といって親と妹が二人で自分に金を渡しにきたことがあったが、自分はそれも受け取らなかった。その出来事は自分の中で象徴的だった。「もう関係ないから気にしなくていいよ」と、妹との距離を、決定づける出来事だったんじゃないかと思う。そのあと結局親から無理矢理受け取らされたような気もするが、その辺はあまり記憶にない。

それ以降は妹を疑ったり、信じたりする必要がなくなった。誰かから伝言があれば伝えるし、不在時に電話があったなら教える。それくらいの関係になり非常に自分的には楽になった。妹の気持ちは知らないが、ややこしい兄に余計な気を使わなくて済むようになって向こうも楽になったんじゃないだろうか。

最近妹は就職に成功したらしい。そのことを自分は祖母から教えてもらった。祖母いわく「しばらく北海道で働いて、3、4年で地元で就職する」つもりらしい。自分はそのとき、「なんで地元に来る必要があるんだろう。再就職なんて大変だろうし、ずっと北海道にいればいいのに。」と言ったら祖母は冗談だと思ったのか笑っていたが、それは自分の素直な本心だった。

残滓

へんなユーチューバーの分析するまとめを見てて、自分にもあてはまるような感じのする指摘があって閉口した。端的にまとめると「子供の頃よく怒鳴られて叱られてきた人間は、自分の言ってほしいことを相手に言わせたり、提案する時に自分も譲歩するアピールをする」「相手の逆鱗に触れないように、しかし自分の欲求を常に優先する」というような書き込みだった。

自分は子供の頃から理屈っぽく、それでいて欲求を満たす為の理論が破綻しているようなところがあり、よく大人に力で黙らされていた。そういう時は「今は道具を使っても大人に勝てるか分からないが、あと10年もすればこいつらなんてやっつけられる。」と自分に言い聞かせて我慢してきた。まあ大半の場合理屈は大人の方が正しかったので、我慢というのもおかしいけど、自分を抑えて踏みとどまっていた。

当然今はもう道具を使えば誰でもやっつけられる。しかし当然そんなことをするほど頭はおかしくないし、当時自分を抑圧させていた大人も時を経てみんな丸くなり、衝突することもない。当時「いつか俺が黙らせてやる」と思っていた相手はもういないのだ。もちろん「いつか黙らせてやる」と思っていた自分の中の憎悪もすっかり燃えさしとなり、自分を突き動かす原動力にはなり得なくなってしまった。

そういう怨讐を抱いて過ごした時間は周りからすれば何もしていなかった時間に等しい。自分は自分の四肢を抑え込んで黙らせる大人を最後の敵だと思い込み続けていたが、その思い込みは最初から合理的ではなかった。おそらく昔からそのことに自分も気付いてはいたと思う。しかしそれでも「俺が間違っていた」と一度でいいから屈服させたいと思い続けていた。今の自分が当時の自分に言い聞かせる言葉があるだろうか。多分まだそんなものは存在しない。これはどういうことなのだろう。おそらくその意味も、本当は気付いているのだと思う。

いらち

最近イライラすることが多い。イライラし続けている証拠に、だんだん自分が悪いような気がしてきている。要するに「イライラしやすくなって、ちょっとしたことにもイライラしているんじゃないか。」と思い始めている。それほどに日常でイライラすることが大きなウェイトを占めている。しかし冷静に振り返ると、イライラしたことは確かにイライラするに足ることなのである。そうなるとしなくてもいい反省をしてしまった事に対してイライラし、余計なイライラが増幅したことにもまたイライラする。この後半のイライラは自分で生み出した自業自得なイライラだということは理解している。しかしそもそものイライラの連鎖がなければそんな反省に至ることもなかったのだ。自分に不要な自業自得を生み出したそもそものイライラにイライラすることはおかしくないことだと思う。しかしその自業自得のイライラのせいで不当に元のイライラが増幅しているとしたらそれはフェアではない。そこでフェアにイライラするために元のイライラを思い出すと、また無駄にイライラをぶり返してしまう。

よし。明日からはイライラを上手く処理できない時期だと自覚しようと思い、普段より優しく振る舞おう。そう思って自分だけで意識改革をしても世の中は特に変わってないのだ。毎日手を替え品を替え、新しくて新鮮なイライラを自分に届けてくれる。たまに素直に感心する。