ラブモメント
「げんさん、ちょっと話、いいかな」
この男から話しかけてくるなんてどういうことだろうか。まさかメンタルの相談ではなかろう。私はめんくらった。
この男とは、衝突を未然に防ぎあってる関係だと私は認識している。同じ穴の狢であることは否定のしようがないが、同族嫌悪という言葉もある。そもそも私に同じ穴の狢と思われたら彼は不服なのではないだろうか。そして、向こうもそう思っているような気がする。私は不服ではないが。
「あのさ」
ものすごい空白である。否応なく重い空気を感じたらされる。これは彼の演出だろうか。どちらにせよ言いようのない説得力がある。
そんなことを考えていると、理解より先に「あっ」と不意に声が漏れた。全てがその一瞬で分かってしまった。そうか。エリか。
いつか別れの日が訪れることは覚悟していたが、まさかこんな形とは。声を荒げて喚き散らしたりした方が彼は楽だろうか。こんな時にそういう態度を取る人間は存在すると思う。私はその人を見てなんと思うだろうか。
私はこういうシチュエーションに直面した時に自我を守るために生きている。私は感情を露わにしたりしない。彼はなんと切り出したらいいのか分からないらしく圧し黙ってしまっている。彼は優しいのだろう。そんなだからお互い精神病になったりするんだ。私たちは弱い生き物だ。
力試し
社会に幸福を見出すことができる人間は馬鹿だから、見出せなくて個人の快適さを追求する人間を馬鹿にして迫害しようとしてしまう。
考えてみれば迫害とかいう言葉自体、社会とかいう共同体がもつ特権であり、特権を持った人間がそれを行使したくなるのも動物的で自然なことに思える。もしかしたら、「行使したい」という欲求ですらないのかもしれない。それはほとんど無意識に人間が行うものなのかもしれない。
僕のインターネット
僕がインターネットに1番入り浸ってた頃は、コロナでみんなが弱ってる今のように周りのみんなに覇気がなかった。いつからか現実で戦って勝てない会社戦士が鬱屈した情念をぶつける場になってしまっていたが、最近昔に戻ってきているような気がして僕は嬉しい。そう思っているのは僕だけかもしれないが、インターネットがインターネットに戻ってきているような感覚を日々感じている。そこにはかろうじて、本当にかろうじてだが、僕の居場所もあるような錯覚を僕に与えてくれる。
Moth
母上のヒステリーがどうやら集大成を迎えようとしている。言うまでもなくそれは悲劇だが、それを未然に防いでしまうことほどの親不孝はないのではないだろうか。
思い起こせば母上は定期的に、常人ではなかなか見ないくらいの激昂を見せていた。それらの伏線がついに回収されると思うと感慨深い。
その背中を見て私も育ってきた。その心は「癇癪を起こさずに生きていると何者かに飼い慣らされてような感じがする」だ。「こんな現状に満足するほど私は安くない」というものだ。
しかし近頃の母上ときたらどうだろう、怒りにまず往年のキレがないし、なんだか筋も通ってないように見えてしまいがちだ。勢いで誤魔化すのは昔からだが、その勢いすら萎れてなんだか哀愁を感じてしまう。それでももちろん初見の人は面食らうくらいのパワーはあるが、そんな為に何十年もがむしゃらに当たり散らしてきたわけではないはずだ。
体力的な衰えによってパフォーマンスに陰りが出るのは仕方ないことだと思う。しかしアプローチ次第では円熟を見せることは可能なはずだ。たとえば、取り返しのつかないキレ方をするとかして、こちらを圧倒してほしい。何年も付き合わされてきたのだから。
落伍
僕は今川原にいるのだが、見るからに浮浪者のおっさんが僕の車の近くにいて帰りたくても帰れない状況にある。おっさんは何をするでもなく揺れている。よく見るとそれほど高齢ではないように見える。早くどいてくれないだろうか。
「おい。にいちゃん俺のことツイッターかなんかに書いてるだろ」
おっさんに話しかけられてしまった。
「いや、書いてませんが」
「いいんだよべつに。書け書け」
いや、本当に書いていないんだが。
「俺のことを叩いていい存在だと思ってるからそうやって書くんだろ。俺を叩いたところで、誰も俺の味方なんてしないからな。それを分かって書いてるんだろ」
そういう人はいるかもしれないが、完全な濡れ衣だ。
「にいちゃんみたいな若いもんがそんなことしか楽しみがないのは嘆かわしいことだよ。その責任の一端は俺にもある。こんな世の中になっちまうのをただ見てたからな」
めちゃくちゃ喋るじゃないか。寂しかったのか。
「だから俺ににいちゃんを責める資格はないって思うわけさ。だから書けよ。ツイッター」
なんでツイッター限定なんだ。
「あの、それ僕の車なんで、もう出るんでどいててくださいね」
「どくから書けよ。絶対にな。俺もにいちゃんたち世代に申し訳ない気持ちはあるからさ。それで許してくれよな」
「はあ。分かりましたんで、もう行かなくちゃまずいんで」
「またサンドバッグが必要になったらいつでも来ていいからな。もっとも、ここにいるとは限らんけどな。わははは」
いるだろ絶対。ツイッターではないが書いといてあげるよ。
地下熊
地下道にクマが住んでいた。
彼か彼女か知らないが、そのクマは2代目だ。
産まれる前まではお母さんがその場所に住んでいて、少しの間一緒に暮らし、1人になり、人を襲って駆除された。
こういう言い方で正しいのかは分からないが、お母さんクマは物乞いをして生きていた。どれくらいの期間かは知らない。物乞いなのでら受け入れられていたという感じでもないが駆除はされてなかった。もしかしたらケガでもしていたのだろうか。
母クマが死んだ後、しばらく子供のクマは物乞いをしていたらしいが、大きくなって普通に人を襲って普通に駆除されたらしい。ちなみに襲われた人も死んだ。
かわいそうなような気もするが、そのクマに私がなんて言ってあげれるのかが分からない。山に帰ればきっとクマとして普通に野生のノリで生きていけただろうが、山への帰り方なんて知らなかっただろうし。
ハネ
プレゼントのアクセサリーが話題になっていて、婚活という戦いの世界の存在を知った。地獄の様相だった。それとはほとんど関係ないんだが、なんとなくこんなことを思い出した。
自分が中学生くらいの頃のSNSは黎明期も黎明期でまとまりがなかった。それでも目立つ人はいて、みんながなんとなく気になるから注目していた。
子供の自分は、そんなネットの年上の大人たちを見ながら「ほんとか?」と訝っていた。本当だとした到底理解できないし、悪い冗談の類だとしか思えなかった。
理解できないことが前提になっているような社会の中で正直、よく自分は生きてこれたな。と思うこともある。親のおかげだ。
この随想はネックレスから始まったが、ネックレス、そもそもなぜする必要があるのだろうか?それで言うとピアスも理解できない。別に何もオシャレじゃないし、邪魔そうなんだが。
市井の人間たちが何をしたいのか分からない。お金は欲しいのだろうけど、思っている以上にそのお金でやりたいことは無さそうに見える。だから必要もないアクセサリーを買ったりもするのだろうか。
お金増やしてもろくなことに使わないくせに増やすことにあんなに燃えられるモチベーションも謎だ。何が目的だ?
世界の物事が全て空虚だ。馬鹿馬鹿しい。何か意味や目的があるように見せかけて何もない。なんの展望もないのに説教や批判にだけ忙しい。とにかく何をキープしようとしているのか不明だ。奴隷みたいだ。眠い。寝る