ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

家の渇き

僕の友達のKくんにはパパがいない。Kくんのママを半ば強引に故郷から連れ出して、KくんとKくんのお姉ちゃんが生まれてからどこかへ行ってしまったらしい。Kくんのママは怒ると怖いけど基本的には優しい。いつも「Kと仲良くしてくれてありがとうね」と僕に言ってくれる。Kくんのお姉ちゃんは優しいけど、いつもヤンキーみたいな友達と遊んでいるので近寄りがたい。

僕はKくんの家に遊びに行くのが好きだ。安心する。それは決してKくんちを見下しているわけではない。Kくんちの空気は渇いていて、その渇きは僕も持っているものなのだ。僕の家には居場所はない。兄弟は僕より優秀だし、みんな仲良さそうで、僕なんかはいない方がいい。Kくんのママは褒めてくれるし、Kくんは僕に一目置いてくれている。僕は今日もKくんちに来ている。

KくんとKくんのママはよく喧嘩をする。最近では僕の目の前でも遠慮なくしている。僕はそれも不快ではない。Kくんのママは怒ると故郷の方言が出て、いまいち何を言っているのかは分からない。Kくんは理解できているのだろうか。僕の両親も喧嘩はよくする。でも僕は我が家の渇き方は好きじゃない。それはひょっとすると僕が産まれてこれからも生きていかなくてはならない家だからなのかもしれない。

まずい料理屋

あんな店だれが行くんだ〜って言ってたけど、実は僕ああいう店行くのが好きなんですよ。ああいうボロボロでいかにも不味そうなご飯屋さんね。しかも穴場を探してるとかじゃなく、不味い方が嬉しいんです。だって、まあもうここからは変な話なんですけど、美味しいなら美味しそうな店構えにしろよ!って思いません?不味くてこそこれこれってなるってなもんで。

僕は料理できないけど、不味いものは食べれば不味いってわかるじゃないですか。それも「パサパサしてる」「味が薄い、濃い」とか、原因もある程度わかる。それを見抜けた時に感じる優越感が僕は三度の飯より好きなんですよねえ。もうその時点で僕の方が上ですからね。

あとね、探して見ると分かると思いますが不味い店って意外とないんですよ。不味かったら淘汰されちゃいますからね。それでもどういうカラクリなのか不味い店は存在しますからね〜。不思議です。そんな神秘的なところも好きですねえ。

不味そうな店行った時に気をつけなきゃいけないのは看板メニューを頼むことですね。どの店だって得意不得意はあるだろうし、看板メニューが不味くてこそ!ですからね。

家裁判

私ね、こんな風に電車の窓から外を見てると信じられないな〜って思うんですよ。この家並み全てに持ち主がいて、これを建てた人たちがいるんですよね。信じられないな〜って。

いくら私が信じられないって思ってもこうして証拠は並んでるんですけどね。そうなってくるとなんだか裁判にかけられてるみたいですよね。「これでもまだ認めないのか!」ってね。あ、別に強迫観念があるわけじゃないんで心配しないで。

でもだって、逆に私も言いたいですよ。「なんのために?」ってね。こんな整然と沢山並んでて、一体ゴールはなんなんでしょうね?感傷に浸ってるわけじゃなく純然とした疑問として湧いてきちゃうんですよ。ないです?そういうこと。

こんなこと言ってるけど私も持ってるんですけどね。家。勘違いしないでくださいよ! あくまで家内や親の意見による産物ですので。……って、ずっと思ってたんですけどね〜。どうやら私の意思でもあったみたいなんですよ。どういうことかっていうとね、最近物置から私の小学校の卒業文集が出てきたんですよ。そこまで言ったら分かりますよね? そうです書いてあったんです。「家を建てて奥さんと子供と楽しく暮らしたい」みたいなことがね。だから子供の私にも理解できてたことみたいなんですよね〜。いつから疑い始めちゃったんでしょうね。

童貞

「愛してるって言ってくれたら私はあなたのものよ」って言われてるようなもんだけどなんでそんな事しなきゃならないんだ。俺は実際は愛してるかもしれないけど、愛してるなんて思ったことはないしそんなことを口に出すのは軽率な印象を受ける。

「女にそこまでされて手を出さないなんて男じゃない」って友達は言うかもしれないけど、俺はそういう尺度で生きてないしお前はこの話に関係ないからそんな熱量で説教するのはおかしい。少し黙っててほしい。

たしかに一理はある。俺だってそういう風になる方向に行くように振舞っていた節があるし、相手の女からしたらある種予定調和というか、空気を読んだというか、なんにせよああいう態度になるのは異常とはとても言えない。しかし俺はどうにも溜飲が下がらない。

俺は結局「愛してる」と言うと思う。そしてあの女を抱くだろう。結局それが童貞の限界だ。俺は一生気持ちは童貞のままなんだろう。女の要領の良さには恐怖さえ覚える。彼女たちは俺が考えないことを日頃考え、俺の出来ないことが出来る。それを認めたくない俺の中のプライドの残滓が、もしかしたら最後の抵抗をしているだけなのかもしれない。

人間ごっこ

なぜ自分は芸術が好きなのだろうかと考えた結果、優れた(と自分が感じる)芸術が優れた人間ごっこだからという気がした。

自分は人間ごっこをしている。自分の意志、欲望、本音に従って生きたら、多分自分は人間社会で生きていくことはできない(そしてそういう人は決して少なくないと思う)。だから社会にギリギリでもしがみつくため、人間ごっこをしている。なんでこんなことを言うのか分からない。こんな効率が悪くて意味のないことをする理由がわからない。そういうことを分からないままやっている。そしてそれはある程度自分を人間として社会に認めさせていると思う(ただしあくまでギリギリである)。

優れた芸術は人生を表している。人生の全てを表してはいないが、人生の大事な部分を表しているかのように強く他者に思わせることに成功している。そういう意味で、人間ごっこの一種の到達点である。

自分は人間ごっこをしなきゃならないことに悲観してはいない。程度の差こそあれど皆やってることなのだろうとボンヤリ思いながら生きている。性格的に、自分には人間ごっこを辞める度胸すらもない。なので自分は芸術に自分の核を求める。脆弱な自分を補強する強い人間ごっこは明日の自分を支えてくれる。

苦しみテスト

「お前、またきたのか。今度はどんな見当違いを持ってきたのか、こちらももう見当が付かないぞ。」

「まあまあ聞いてくださいよ。持ってきましたよ新しい苦しみ。」

「どんなものだ。聞くだけ聞いてやろう。」

「どんなものって言うのはちと難しいんですがね。たとえば新しく知ること、ってあるでしょう?釣りの仕方だとか、勘定の仕方だとか。」

「ああそうだな。それが人間様の特権ってやつだ。」

「はい。ただ人によって、どうしたって出来ない。何回教わっても無理。ってことって何か1つはあるもんでしょう。」

「ふむ。言われてみるとまあ、そうかもしれんな。とすると、それがお前が今回持ってきた苦しみってことか?」

「いえいえまさか。そんなチャチな苦しみを持ってくる私じゃございませんよ。まあ聞いてください。そう考えていた時に私気づいちゃったんですよ。」

「ほう、これは面白そうな話じゃないか。何に気付いたって言うんだ?」

「人間は学んでいると勘違いしているだけで、実のところただ思い出してるだけなんじゃないかってね。それに気付いちまったとき、私の心はキュッとなったわけですよ。そこで理解したわけです。ああ!これが苦しみかってね。」

「……。

お前は毎度、とんでもない苦しみを持ってきてくれるな。俺個人として、そこは評価しよう。あっぱれだ。

しかし、そんな苦しみを持ってこられてもお前をこの村に入れることは叶わないんだよ。俺にも立場ってもんがある。悪く思わんでくれ。」

「そうですか。いやいや、見当違いな与太話をしっかり聞いていただけたことに私は感謝しなきゃいけねえ。今日も長々とすいませんでしたね。」

「ああ。また来いよ。」

「はい。」

 

その帰り道、彼は他の村の男からこっそりと正解を教えてもらった。彼は帰ってからその苦しみを早速試してみることにした。彼の心は背徳感と期待で高鳴っていた。

 

しかる時間が経ったのちに彼が目を覚ますと、なんと体が動かなくなっていた。

彼は、それでも正解が分からなかった。分からないまま死ぬことをただちに悟った彼は「これが正解なのだろうか?まさかな。」と、1人心の中で自嘲した。

満月

満月の夜は脱皮する。古い皮膚が邪魔でしかたない。張り詰める古い皮膚。ところどころ隙間から新しい皮膚が見えてる。そういうところに限って痒い。しかし搔けない。掻くとボロボロと古い皮膚が散らかって不潔なのだ。あくまで自然に、服を脱ぐように剥がせるようになるまでじっと待つ。寝たら多分掻いてしまう。寝ないようにしないといけない。首筋が痒い。手の甲が痒い。頭皮が痒い。腰が痒い。唇が痒い。これもあと数時間の辛抱だ。新しい皮膚になるのは気分がいい。行動力が湧いてくる。ポジティブになる。満月が明るい。山とか道がはっきりと見える。散らからないのなら今すぐでも掻きむしりたい。うずうずする。これもあと少しの辛抱だ。我慢できないほどの痒みではない。