ほかほかしっとり

思ったよりほかほか

ゆめ

「まず他の人も指摘されている通り難易度が高い!確かに大人のファンが多い事も事実ではあるのですが、やはりこのタイトル、イメージからして子供を意識しないとおかしいと感じます。私が子供だったら飛びつきますしね。「みんな言い過ぎだろう」と思っていざ始めてみたらあまりの難しさに驚きました。

そしてやり始めてもう1つ驚いたことが、これも皆さんおっしゃられていることなんですが雰囲気が怖すぎる!なんなんでしょうこの「本気で生きようとしなければいともたやすく殺される」というような雰囲気。こんなに気の休まらないゲーム初めてやったかもしれないくらいなのですが、まさかその体験をこのゲームによってできるとはゆめにも思っていませんでした。

あと個人的な意見なんですが、ネタバレになるので言えませんが往年大活躍して私もある種の憧れを抱いていたあるキャラが序盤で敵として出てくるのですが、、、。まあそこまでやった自分としては「やっぱりか」という印象だったのですが、これまた怖すぎる!昔の憧れにあんなにガチで追い回されることになろうとは、当時は考えもしていませんでした。本当に決死の思いで倒すことはできたのですが、戦ってる感覚としては「いかれた戦闘狂から逃げつつちょっとずつダメージを与えて倒す」という趣で、いい歳になった私でも軽くトラウマになりました。

良く言えば確かにやりごたえがあって、ストーリーもまあ良くできてはいるし、ゲーム性としても達成感とそれを遥かに凌駕する開放感を味わえはするのですが、、、。果たしてこのタイトルでそれをやる必要、このタイトルにそれを求めてる人がどれだけいたのか、甚だ疑問の残る作品でした。」

生命力

田舎におけるお盆というのは日頃あまり会うことのない親戚に会う機会に恵まれている。そしてこの少子高齢化のご時勢、そういう親戚は大抵死にかけているか、既に死んでいる。

死にかけの人間と接触すると、死にかけているとはいえただ死にかけているだけじゃないことが分かり色々と参考になる。活き活きしていた頃に培われた人間の尊厳の残滓が垣間見れ、そういったプライドは死にかけていても少しカッコいい感じがするので見習いたいとも感じる。

普段あまり触れない死に多めに触れ合うとやはり自分の死についても考えさせられてセンチメンタルになるようだ。しかしポジティブに考えると、死にかけている人間と触れ合うのは生命力に溢れた人間と触れ合うよりしんどくないし、余計な複雑さも少なくていいと思う。なので結果的には、これからも避けることなく死にかけの人間たちと交流していこうと思ったお盆であった。

咳をしても

八月の頭に友人にタチの悪い高熱を移された余波がまだ残っているのだろうか。ノドの奥が弱り切っていて少しでも「濃い匂い」を嗅いだりするだけで咳こみ、ひどい時はえずく。濃い匂いに限らず、湿度が高くて空気が沈殿して停滞しているようなところに頭を突っ込むだけでもむせて止まらなくなる。

実際問題そういうところはマスクなりを装着して頭を突っ込むべき空間なのだろうけど、予期せず突っ込むこともあったり匂いの場合は向こうから立ち込めてくることも多々あるので日常生活が非常につらい。

例えば車に乗っているとして、冷房をつけると冷気でむせる。窓を開ければ野焼きや雨の匂いなんかでむせる。どちらも遮断すると空気が滞って苦しくなってくる。という有様なのだ。車に長時間乗らなければならないシチュエーションが最近多いため、車に乗るととりあえず適温の空調を見つける為に数分はエアコンをカチャカチャいじっている。

ノドがソワソワする為、思考もまとまらず、注意散漫になりがちだ。この日記もとりあえずこの辛さをどこかにかなぐり捨てたいという気持ちから書き出したが、着地点が見つからずに滞ってきたのでなんだかまた気分が悪くなってきた。

落下の王国

自分が20余年で形成してきた人間性は大半もうこの日記に書き留め終わったと思っていたが、1つ忘れていたことがあった。自分は落ちている物が好きだ。多分小学生くらいの頃から落ちている物が好きだったと思う。店に置いてあっても着目したりしないような物でも、落ちていて面白い物だったら、拾いはしないが一度凝視してしまう。

落ちている物の価値というのはやはりその物の価値というよりは落ちている地面との相性だと思う。落ちているロケーションが物とマッチしていなければいないほど、自分のテンションは上がるような気がする。

学生時代は歩きや自転車による移動が多かったから地面にもよく目がいったのだが、最近は車の移動が多くなってしまったので、活きのいい落ちている物にもなかなか出会えなくなってしまった。なので落ちている物が好きな自分の性質も忘れかけていた。しかし先日、人気のない道の歩道に体育の授業で使うようなマットが落ちているのを見かけた時、久しぶりにその感覚が呼び起こされた。

cnpk

本屋で僕の彼女に出会った。彼女は僕がいるのに気付いてもいないのに優雅で、僕の知らない本を買っていた。彼女は僕と会っている時となんら変わらない。その事実が僕をこんなにも打ちのめしている現実に驚いているのもまた僕だった。僕は彼女といる時間を、僕と彼女の化学反応だと思いすぎていたのかもしれない。しかし彼女は本当に、僕のいない時も生きていた。

勘違いしないでほしいのだが、僕は彼女の普段の生活についての話を聞くのは大好きだ。彼女がどんなものに出会い、どんな風に感じたのかを聞くだけで、短いおとぎ話を聞いているような浮遊感を感じていた。問題はそのノンフィクションが、本当にノンフィクションだったということなのだ。僕は彼女に別れを告げなければいけなくなってしまった。

僕の彼女は僕の有無に関わらず存在していて、彼女が買った知らない本も知らず知らずのうちに存在し、その作者も存在していて、その作者にはその作者の人生がかつて存在していて、この不意な瞬間にそれらと僕は事故のように混濁してしまった。それがこんなにも気持ちの悪いことだなんて、僕自身たった今初めて気付いた。

彼女は分かってくれると思う。残念がったりもするかもしれない。そのことを想像すると僕の心は締め付けられ、また途方も無い無力感、現実の圧倒的な強さにただただ打ちのめされるのであった。

デイリー

「おはようばあちゃん、どう?体調。よくなった?」

「おあいにくさま。この通りすっかりよくなったよ。」

「よかったね。それだったら今日のお友達との会にも行けるじゃん。」

「前もって『いけないかもしれない』とは伝えてあるからね。治ったって言ったら嫌な顔されちゃうわ。」

「そんなことないさ。じゃあ車出しとくから、準備出来たら乗ってね。」

「近道で安全運転で頼むよ。せっかくよくなったのに遅れたんじゃ格好つかないからね。」

「はいよ。じゃあ待ってるから。」

「あ、ちょっと待ちな。これ食べて待っておいて。」

「なにこれ?黄色いスイカ?パイナップル?なんかの果物?」

「食べたら分かるさ!」

 

「果物どうしたの、せぎんとこにべちゃってあったけど。」

「ああ、毒でも入ってたらことだから食べずに捨てといたよ。」

日記

「あらあキレイな花じゃなーい。本当にもらっちゃってもいいの?」

「ハネたやつでよかったらね。いくらでももっていって。」

おばあちゃんが花を友達にあげている。ハネたやつ云々とまたいらんことを言っているが、まあ和気藹々とした雰囲気だ。しかしばあちゃんの友達の次の一言があたりの雰囲気を一変させる。

「じゃあまたね、これ貸しにしといてね。」

ばあちゃんの形相が険しくなり、今までの空気とはまったく違うトーンで激昂する。

「貸しだなんて!馬鹿言っちゃいけないよ!何言ってんだい!そんなのにされんならあげないよ!冗談言っちゃ困るよほんとに。」

ひとしきり当たり散らした後も、ばあちゃんは友達2人を睨みつけている。お花をあげただけなのに非常に気まずい空気になった。車で待機している自分は笑いをこらえるので必死だった。